睡眠

 僕は三大欲求の中で、というか全ての欲望の中で、本音最も強いのは睡眠欲求です。
 いや、ほんまだって、信じて。信じてってば。
 とにかく良く眠ります。信じられないくらい良く眠ります。朝まで起きてるから、と言うことはさておき、寝つきのよさと睡眠時間の量は半端じゃありません。
 寝つきは3秒、のび太に挑戦できるレベルです。
 更には眠らせるといつまででも寝ています。目覚ましは五個必要です。
 昼過ぎに起きても必ず夕方には眠くなります。
 休みの日は「シエスタ」と称して必ず4~6時の間に睡眠をとります。取らないと凶暴になります。その男凶暴につきです。
  ほとんど病気のレベルで眠いのです。
 16歳くらいの頃からかな。とにかく寝るのが好きだった。高校には昼過ぎから登校してたり、機嫌が悪ければそのまま登校しない日もあった。今で言うヒキコモリだ。もうとにかく寝てないといけないのです。
 落ちも何も無いのですが、とりあえず「寝るのが好き」と声を大にして言いたかっただけです。ごめん。

くじ

 僕は「当たり」や「ハズレ」と言うクジを引くのは好きじゃないし、またそういう行動は極力取らない。
 「当たり」「ハズレ」を書き込む側が好きだ。
 と言うか、「ハズレ」を引いても、上から紙を貼って勝手に「当たり」を書き込んでしまう、そういう強引な男でありたい。

ダイエット

 ダイエットしようかと真剣に思いました。
 いや、もちろん僕のお腹は大変な事になっていて、今すぐにでもダイエットしないとメタボリックなんとかで一「食」即発状態でありますので、わざわざ宣言するまでもなく気にしなければいけないところなのですが。
 まあ、それはともあれ、本日、かみさんの買ったステップマシーンに乗ってみたのですよ。
 ステップマシーンとは足を上下に動かす筋トレ装置のようなものですね。
 まあ、一般の方でしたら、これを使って、体力の無さと身体の重さに唖然として、ダイエットを決断する、といったストーリーにうまく乗るところなのですが、僕は体力が無かろうと身体が重かろうとあまり気にする事のない不遜男子なので、これくらいの事ではダイエットしなければ、とは思わないのです。でも15分ステップマシーンに乗るとそれだけで結構しんどかったです。ふぅふぅ。
 この、ステップマシーンで足を上下しているとですね、実に昔の感覚が蘇ってきたのですよ。
 それは、その…「獅子舞」でございます。
 獅子舞の舞い方の足の上げ下げにとてもリズムといい動きといい良く似てたのですね。
 知る人ぞ知るX-10は大の祭り好きでして(もういいって?)、地元富山に居るときは福岡町第二区獅子方若連中「交進会」に属して小学2年生から18歳まで、ずっと獅子舞を演じていたので有ります。
 頭で覚えた事と違って、身体に染み込んだ「舞い」って絶対忘れないものなのね。本当に。
 富山の獅子舞、特に氷見獅子と呼ばれる獅子舞には天狗や小天狗、剣持といった単体で踊る演者が居りまして、ここでは綺麗に足を上げたり決めのポーズをしっかり取ったり(見栄を切る、ともいいます)、天狗の長髪を振りかざしたりと歌舞伎や能に近い所作を求められるものであったと覚えてます。
 実際、16,7才の反射神経が良くて姿勢の良い、且つ背の高いお兄ちゃんが天狗役を演じたりすると、それはそれは美しい舞いが見られるので有りますよ。本当に。惚れ惚れします。
 翻って、僕が今この身体で天狗を演じたりすると、これはとても醜いだろうなぁ、悲惨だなぁ、と、ステップマシーンを踏み踏み考えてしまったので有ります。
 ステップマシーンを降りた後、ほんの少しかみさんに天狗の舞を見せたのですが、やはり「美しくない」との返事が返ってきました。「足が上がってない」「左右が揃ってない」「姿勢が悪い」「決まってない」とぼろくそです。
 成人病が云々、スタイルが云々、というのも大事なのかもしれませんが、僕はそれより「天狗を綺麗に演じきれない」と言うことの方が実はショックであり、これがダイエットを決意した要因でございます。
 
 だって、背肉のついた天狗なんていややん。
 だって、身体の丸っこい天狗なんていややん。
 だって、腹筋の割れてない天狗なんていややん。
 だって、二の腕がたぷたぷした天狗なんていややん。
 だって、獅子殺しでキメを決められない天狗なんていややん。
 
 
 
 
 大前提として、誰も僕に天狗やれなんて言ってないのですが。
 今後の人生で天狗を演じる機会があるとも到底思えませんが、何か?
 
 
 
 それ以前に獅子舞から離れて早15年です。
 獅子舞なんてどっか学校やカルチャーセンターでできるものじゃないし。
 どうしましょ。代わりに日舞でも学ぼうかしら。

外に向かう誠心誠意は、自爆行為だ。

 僕はテレビやラジオなど、マス媒体メディアに目や耳を傾ける事が少ない。
 必要な情報は足で稼ぐか、またはこちらからプルできるメディアを使って、引っ張ってくるようにしている。もちろん、僕のフィルターに引っかからない、トータルな情報(金融や一般趣味、芸能、海外政治などだろうか)もどこかで補わないといけないのだけれども。
 時にふと、テレビをつけたりして(大体朝が多い)情報を流し込むようにすると、「希望」や「誠心誠意」「一生懸命」などの言葉・ドラマ・行動が耳に入ってきて、僕は暗鬱たる気持ちになる。それが辛くて、あまり多用しないのだ。
 もちろん、希望や誠心誠意がいけないわけじゃない。希望も誠意も懸命も、それぞれ楽しい栄養素だと思っているけど、向かう先がずれている事が多くて、僕は時々悲しくなるのだ。
 話が大きくなりすぎる。希望と一生懸命についてはさておきだ。
 誠心誠意、と言うのは決して第三者に向かうべきベクトルじゃないだろう。
 誠意、をそのままぶつけるのは、「僕は君の事をこんなに愛しているのに、何故わかってくれないんだ」と言う自己愛的情熱の発露でしかない。
 誠心誠意には、目的があり、その目的に対する自己献身を意味する。そして本来は、目的を達成するためには、知恵を搾り出す必要がある。そして、その知恵を搾り出す行為、掛ける時間と体力自体が、誠心誠意に匹敵するものだと思う。
 知恵を出すためには、充分な睡眠と食事が必要だし、考える時間そのものも確保しておかないといけない。そのために節制があり、自己管理が生まれる。
 知恵が出ない、と思えば頭を回転させるか、情報を増やすか、整理するかの3つしか手段は無い。頭を回転させるためには睡眠を増やし、食事を取る。休養もいいだろう。情報は決まった手順に従って収集、整理すればいい。ともあれ、目的に向かってまい進する、と言うことは24時間目的を想い続けることとは全く別種のものだ。
 心と意思、を用いて如何に結果を追い求めるべく知恵を絞るか、そこに尊さと献身が生まれるのだと考える。
 何も考えず、「誠心誠意がんばります」と言って技も知恵も無いまま突っ走るのは、戦闘機に竹やりで立ち向かうようなものだ。あるいは、会話したことも無い女性に告白に行くようなものだ。
 相手は失笑するか、柔らかく困惑するしかない。
 
 僕は今更何を言ってるのだ。若造じゃあるまいし。
 智恵を搾り出せなくなって焦っている自分への自戒、なのだろうな。
 いやだなぁ。頭で考えて文章を組み立てるのは苦手だ。内容がじじくさくなる。
 調子の悪さは、文体に出てくる。
 ことばと言うメディアは、自分の底の浅さをばらさないため、煙に巻くために使う道具だと思っているのに。

前を向きにくい。

前に向かって進めないほど疲れてるのかな。
決断が鈍く、行動への取り掛かりが遅い。さすがに自分の体調くらいは自分で(コントロールできずとも)どういう状況かはわかります。
 こういうときは遠慮せずに医者に行ってきます。うははははははと笑いながら。黄色い救急車で強制連行です。

後をひく負け方

ってのがあります。
 先々月辺りから、とある負け方に後を引いており、それが様々な要因となって卑屈・未練・下卑と自分の精神によからぬ影響を与えています。
 自分のやるべき仕事にも身が重くなり、楽しさを感じにくくなっていて、相当プレッシャーです。
 うーむ、元々勝ち負けにはそれほどこだわらない性格なのですが、ちょっと遊びで行った余興で、現在の兄貴分に徹底的にもっていかれてからというもの、自分の意識がギクシャクしてました。
 何とか取り戻さないと、悪影響が出てしまって仕方ないのですが、今、「あ、あの時後を引く負け方をしたからだ」と意識できたので、また盛り返せるかと思ってます。
 どんな遊びでも、下手な負け方をすると自分の精神と身に悪影響を及ぼします。
 決して負けが全ていけないとは思いませんし、悪い勝ち方もあるかと思いますがね・・・。
 負けるって怖いね。負ける事の本質的な怖さを、久々に感じました。