100日

さて、

あと自分の人生が100日しかないとしたら、僕はどう生きるだろうか。

100日じゃ芥川賞取れないしな…。まあ小説は仕上げるだろうね。

それ以外は…まあそこそこ満足してしまって、後は「いつもと同じ日常をずっと続けるだけ」でいいだろう。

映像を編集して、BYNDで授業をして、酒を飲んで、本を読んで、モーションデザインを作って、PrinceやSteelyDanを聴いて、呼ばれたらステージに立って…。家族の時間も大事にしながら、ね。

というわけで、コロナ にかかってしまいました。

今日で隔離10日目です。僕は元気です。

拠点が2つあることが功を奏して、僕は東中野の事務所にずっと泊まり込み(妻は四ツ谷)、誰にも合わずに過ごしておりました。

大袈裟に書いてしまいましたが、全く命に別状ある状態ではありませんでした。初日にちょっと発熱したくらいで、あとは倦怠感、そして味覚嗅覚異常です。

倦怠感は生きてる限り「めんどくさい」と思ってる僕なのでデフォルトです。多分これコロナ理由じゃない。コロナを言い訳にしてるだけだ。

それよりも、味覚嗅覚は初体験でした。特に鼻が詰まったり喉に違和感があるわけではなく、ただただ味がしない。カレーを食べても牛タン食べても(食欲はあります)全部土。泥団子。これはさすがに食べる楽しさがなくなりました。こんな僕でも食事に対して喜びを感じていたんだな、と実感しました。

皆様お気をつけを。と言ってももう、こればっかりはどうしようもないな…と思っております。お互い、助け合いながら生きていきましょう。

インスタ&FB依存で「うつ」になる中高年が激増…

要するに世代も性別も関係ないわけじゃないか。

「常にインフルエンサーの成功を見せつけられている」

10代女子の精神的不調が激増中…

https://bunshun.jp/articles/-/56550

インスタ&FB依存で「うつ」になる中高年が激増…

https://biz-journal.jp/2017/12/post_21794.html

さて。

僕は独立以降あまり気落ちしない。

最初に言っておく。全然成功してないし、そもそも成功しようと言う気がないし、生きて毎年祭りに参加できればそれでいいだけの男だと言うとるのだ。何度も言うとるのだ。

が、正直、その、なんだ。遠回しに「お前のFBを見てると腹が立つ」と言われることが、ごく稀にある。嘘、たまにある。どうにもなんか「楽しく生きてる人間代表」みたいに思われるらしいのだ。

それは畢竟、自分がこう言うデジタル分野での文章書きに相当慣れているがためであり、この分野での自己演出がたまたま大好きだったから「楽しそうに盛っている」に過ぎないのである。「あまり刺激すると仕事が減るよ」と言われても、仕事よりも自分の発言の方が大事な僕にはどうしようもないのである。発言や思考止められたら死ぬのである。他者の演出を見てもそれはそれでまた楽しくなるのである。盛り方も人それぞれだろう。それを楽しむのがSNSじゃないかとさえ思っておる。同じ脚本でも、演出家でガラッと雰囲気が変わるだろう。アレだアレ。

ただとりあえず、楽しく生きてること自体は間違いない。そこは嘘偽りない。こんな三流へべれけペテン師人間を楽しませてくださる方々に感謝の気持ちを込めて。

いまだに「えび天出て金監督なってやる!」「ジャンプ放送局にはがき乗ったぜイェー」をかっこいいと思う価値観で生きてるので、そりゃ令和の四十代にはなり損ねているわけだ。

他者と比較することができないほどに道を踏み外し、主観的幸福感だけで生きている迷い人のSNS文章がこちらでございます。

審査員

先日のイベント、ハッピープレビューでの一幕。

なかなかコロナ禍が落ち着かない中、イベントを行うことの難しさは筆舌に尽くしがたいとは思うものの、プロデューサーの判断により少人数で開催に漕ぎ着けたこと、嬉しく思います。

僕はまたコメンテーター、審査員、神出鬼没の変態紳士としてその場を盛り上げる役目を仰せ使いました。

ありがたい、よねぇ…。こんなどうしようもない僕が、栄誉ある席に立たせていただくだなんて…。

取り立てて僕は何もできることはありません。皆が作った作品を楽しみ、喜び、皆の頑張りに精一杯の拍手を送るのが僕の仕事です。全力で、僕はこれからも皆様のサポートを続けます。

本当に、無垢に無邪気に、僕を慕ってくださる方々のありがたさがとても染みるこの頃です。

いや、ちょっとね。最近疲れることが多くって…。

お天道様に背くような行動はしておりませぬ。すべての正義はいつか白日に出てきます。それを信じて、口元を引き締めて。

決して、品格のない言動はしないように。

帰省

久々に。本当に久々に。

なんの予定もなく、地元高岡に帰ってまいりました。

ほんの一泊だけ。両親に顔を見せるだけの日になってしまいましたが。

できたことは、両親とのお昼ご飯、そしてお墓参り。宮参り。

たったこれだけですが、僕にとってはコロナ禍以後、出来ないままにずっと引っ掛かっておりました。

…8月に入り

人との縁が変わる時期と感じています。

離れたり繋がったり、これまでの人との縁が少しづつ変わっています。

オカルトやスピリチュアルなこと言うつもりはないんだけどさ。

中学高校時代のピアノの先生にご挨拶ができたり、独立初年度に世話になった先生とLINEでやりとりを始めたり、本当に幸せな縁戻しも多い8月です。

きっと…今の「縁が変わっていく流れ」は、うちの祖母の力だと思っています。

昔から、祖母のパワフルさに僕はずっと導かれていました。

祖母が亡くなった年、僕の売上は爆増しました。

あれはきっと、

祖母が「たすく!あんた仕事せられんか!」と向こうからどんどん面倒を見てくれたからだと信じています。

「あんたこれやられ!」

「この仕事したらあかん!」

今、また遠くの声が聞こえてきます。

最近の縁変わりには意味がある。おばあちゃんが観ている。

もちろん、おじいちゃんも、そのほか沢山のご縁いただいた方も、ね。

ちゃんと「ありがとう」と挨拶しないといけないな、と言う思い。

少しだけ、果たして参りました。

背筋は伸ばしてこうべは垂れて

身の丈以上に大きく見せようとせず

自分の器に無理をせず

まだまだ、みんなに面倒を見てもらったまま、よちよち歩きで頑張ります。

まんじりともしない朝

この日、僕は覚えている。

その前日、社内で言われ無き吊し上げにあい、僕は退職を決意しました。

その後も煩悶は続き、妻とも相談の上、お互いに心中を覚悟で実際に退職届を出したのは8月27日です。そこまでの苦闘と苦悩、そして履歴(様々なデータ)はいつの日か公表するときが来るでしょう。

いや「僕に真があり、誠がある」ことが社会的に立証されれば、そんなことをする必要もないかもしれません。

今日の記載で、大事なのはそこじゃないのです。

退職を決意したその日、見た空はとても青かった。

本当に、人の目に見えるものは、精神状態で大きく変わる。

「空ってこんなに青かったんだ」

退職を決意した僕は、その瞬間に彩度を取り戻しました。

大丈夫。今、その環境で苦しんでいる方も、必ず素晴らしい人生を送ることはできると信じているし、そのために僕は「映像」という武器を使って、自尊心を保って生きる術を伝えている。

人生は素晴らしい。

貴方の素晴らしい人生を踏みにじる人から離れましょう。

生きていけるから。

金なんて、生活費なんて、小さな問題でしかないのだから。

感謝の気持ちと礼節を持ち、その上でなお芯を持つ

僕は仕事が多い。ご愛顧頂いている。

ご依頼も多い。

そう書くとやっかみも生まれる。

知ってる。

でも、事実だから仕方ない。

上に、ご依頼が多いからと言って僕に能力があるとか

才能があるとか商才があるわけでは決してない。

たまたまニーズに「スポッ」とはまっただけなのだから。

むしろ世の中の潮流が僕の近くに居てくれただけというか。

自分でマーケット探したわけじゃないし、次を探る気もない。

マーケティングはようわからんし苦手です。

来年、依頼がなくなる可能性は大いにある。

来年仕事がなくなったら、やっかんだ方々は言うのだろう。

「あいつは没落した」

「いい気になって調子に乗った」

「そもそもハゲだしな」。

…ここに僕はいつも違和感を覚えます。

仕事が多いからと言って僕に価値があるわけじゃない。

逆に、仕事が何にもないからと言って、僕に価値がないわけじゃない。

僕は僕で文章を書いたり本を読んだり

楽器を爪弾いたりしている自分に価値を感じています。

それは、誰であっても同じだと思っています。

お金を稼いでいる人が偉いわけじゃない。

金持ちだからと言って価値が多いわけじゃない。

(経済市場としては高価値なのかもしれないけど、

そんなもの人間の価値において、ほんのごくわずかです)

とりあえず、人の役に立つことはできてたらいいな、とは思っているけどね。

それによって、自分の承認欲求も満たせて、お互いにありがとうと言って、

しかもおまけにお金までいただけるのであれば、それは幸せなことです。

僕は今、幸せな生活を送らせてもらってます。

でも、明日には明日の風が吹く。

明日、僕が仕事なくなってぶらぶらしてたら、お酒でも誘ってください。

凋落する覚悟はできてます。

その上で、この僕が僕のまま、僕を尊重してくれる方のために、

人様の役に立つことがあれば、頭を垂れてなんでも尽力します。

贅沢ができずとも、飯が食えなくなることはなかろう。

飯が食えなかったらそこまでだ。

自分の生き方を曲げて迎合するよりよっぽどマシな生き方です。

背筋は伸ばしてこうべは垂れて

身の丈以上に大きく見せようとせず

感謝の気持ちと礼節を持ち、その上でなお芯を持つ