戻ってきたんです。充電完了して、1週間の休みを終えて、仕事場に戻ってきたんです。
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今年も祭りに参加できて、本当に良かった。明日からはまた唐突にフルスロットルな毎日です。
毎年言ってることなんだけど、今年は最高に楽しかった。いやもちろん、去年も、一昨年も、いつも楽しいのだけど、今年はまた格別だった。天気も良く、日曜開催で、更には七町がそろう記念の年と、僕のみならず皆さん気合の入った年でした。
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そして、あまりにも感極まり過ぎて、僕、今年4回も泣いてしまったんですよね。曳山引いてる最中3回と、終わってから1回。どこで泣いたかは長くなるので別で書き留めます。自分のチラシの裏にでも。
こんなに泣いたのは今年のゲストが照英さんだったからに違いないと勝手に思っています。
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と、思ったけど、今も感極まり始めたのでやっぱり書く。ちょっとだけ。本当に書くと原稿用紙50枚はいく。この話だけでご飯は20杯ほど食べられる。
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最初に涙が出てきたのは、昼山が終わる前、中町の5連続カーブを曲がっている最中でした。そこまでもみんな気合の入ったイヤサの掛け声をかけていたのですが、この時、全員が本当に心の底から声を出して、大合唱になった瞬間があったのです。この時に僕はダーと涙が出てきまして。もう、本当に、町内一帯で全員「やまが好き」という思いが溢れたひと時でした。
わかるか。わかりますか。幼い子供からは憧れと羨望の目線を送られ、女性からはうっとりした目で見つめられ、年配の方からは慈しみ溢れる目で眺められる、曳山という存在の凄さを。素晴らしさを。偉大さを。わからなかったら何回でも説明してやる。それがイヤなら来年見に来なさい。わかったら原稿用紙3枚で感想文提出な。
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2回目は、かっちゃの真っ最中。これは別の涙でした。
これは説明からして長くなるのですが、とにかく「かっちゃ(ぶつけ合い)のとき、一番前で曳山を押す係は本当に怖い」ということ。これはあれだ。肝っ玉勝負なのだ。逃げないでどこまで押せるか試されてるのだ。でも、後ろから僕の肩も力いっぱい押されてるから逃げられないのだ。そして前は見えないのだ。一瞬遅れたら圧死する。死なないにしても確実に腕か肩の骨折れる。やばい。まじやばい。こんな怖い祭りだったとは今初めて知った。その役目をやってる最中に、喉はカラカラになり涙が滲みました。命がけって冗談で言ってる場合じゃない。けんかやまって名前は伊達じゃなかった。なんでこんなことやってんやろ。なんでこんなアホなことに本気で命かけてるんだろ。ほんまにダラ(馬鹿)や。よし、来年も一番前で参加してやる。という、恐怖と度胸試しの涙でした。
なんだろう、僕はこれまで、全く興味を持ってこなかった世界ですが、F1レーサーとか、騎手とか、命を張る現場に居る方々の充実感が、ほんの少しだけ、解った気がしたのです。生きるとはかくも熱いものなのか。40超えて初めて知った(遅すぎる)。
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3回目は、夜の帳が下りた後、すべてのかっちゃが終わった後です。
観光客も皆帰り、シンと静まり返った中でお囃子を奏で続ける曳山とともに休憩をしている最中のことでした。
本当に、本当に、知らない人には単に気持ち悪がられると思うのですが。ええ、いいです。気持ち悪い行動だとは思うのですが。それでも仕方ない。だって好きなんだもん。
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かっちゃが終わってボロボロに傷んだ付け長手と曳山を眺めて、様々な部位を触っている時に、あまりに愛おしすぎて、抱きしめたくなっちゃったですよ。ええ、抱きしめましたよ。付け長手を。気持ち悪いって言うなら言え。
そしたら、また涙が出てきまして。
曳山は船であり海であり大地でありご神体なのだ。8トンを超えるこの巨大な曳山が悠然と、そして満身創痍の姿でたたずんでいる状況に、僕は畏怖してしまいまして。本当に、本当に感謝と、嬉しさに溢れまして。部屋もワイシャツも私もないけど切なさと愛しさと心強さに溢れる一瞬。いや、おちゃらけて書いてますけど、こんな感情に溢れたこと、ないですよ。正直、どうやって文章に落とせばいいのかさえまだ解ってないのです。解ったらもう一度書く予定です。今の段階では文章も何もかもが破綻してますが、これは僕の感情の破綻なのです。皆様ついてきてください。
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そして最後は、後吹きと呼ばれる後夜祭。祭りの翌日、後片付けも終わった後に町内みんなで宴を行ったときのことです。
なんだかんだとバタバタして、この後吹きに参加できたのは今年が初めてだったのですが、こちらも本当に貴重な宴だったのですね。翌年の総代が発表になったり、鍵の授与があったりと、本当に重大な式典であることを改めて知りました。来年からはきちんと参加します。すみません。
そして、そこでは、囃子方(笛と太鼓)によるお囃子とお神楽の演奏がありまして。
なんというのでしょう、この、囃子方という存在の大きさ、いや、僕も獅子舞で囃子方やってたので重要性はよくわかってるつもりだったのですが、本当に神事として祭りが存在できているのは、囃子方があるからに他ならないのです。お囃子っていうのは、あれです。いわゆるお祭りでいうピーヒャラピーヒャラドンドンというお祭りらしいサウンドですね。僕はこういう書き方してますが他人が「お祭りってピーヒャラするやつだろ」とか言われたら本気で怒りますが。山鹿流出陣太鼓なめんじゃねぇ。
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そして、お神楽というのはいわゆる雅楽的な、神様に捧げる曲目です。
これも説明しだすと長いのですが、お神楽は宮参りや山宿、曳き始めや曳き終わりなど大事な場面で必ず演奏されるのですね。そして、その時は必ず曳き子は鉢巻を取って頭を垂れる、というしきたりがあります。
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とりあえずそこまでの事前情報として。話を進めます。
後吹きという宴の話に戻りまして、そこで囃子方による演奏が始まったわけです。その時は、皆さんお酒飲んで談笑してる真っ最中なのですよね。
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その中で、お囃子からお神楽に曲目が切り替わった瞬間。
みんなが一斉に正座して会話を謹んで、ぴたっと演奏に耳を傾けるのです。
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お神楽!この神事の重要性を、僕はまた改めて感じまして。
その瞬間にも、また涙がこぼれたのです。お酒を飲んで慰労をしている最中でも、みんな、お神楽が流れるときちんと襟を正す。老若男女、みんなが誰に言われているわけでもなく、きちんと礼節を知っているわけです。こんな素晴らしいことってあるか!こんな素敵な世界ってあるか!
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そうなんだ。そうなんだ。お金儲けのイベントや経済活動、観光コンテンツなんかじゃないんだ。これは、伏木神社例大祭なんだ。そんな素晴らしいことに僕は参加させてもらってるんだ。今年一年、しっかり生きなければバチが当たる。本当に、そう思ったら、目が赤くなってきたのです。
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そう、これを書いてて、また身体が熱くなってきました。
今年の祭りは、いつもにも増して、最高でした。
これからまた1年、来年の山車を曳くまで、僕はまた頑張ります。
ちなみにここまで書いて、まだ見出しだけしか書いてないつもりです。本当にまだまだ書き足りません。来年まで皆さんつんだってきてください。(※-富山弁における「ついてくる」の意)
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※そんなに感きわまるくらいなら地元捨てて出ていくんじゃないこのハゲ。と言われそうですが、それはそれでまた大人の事情としていろいろあるわけですよ。祭りは僕の心の拠り所だけど、僕が世の中で価値を生み出す仕事や家族はまた別のところにもあるわけですよ。そこはまた、ほら、飲んだらお話ししましょう。