20年振りに思い出した。かみさんはピアノ弾けるんだった。という訳でオペラとバンドといろいろ一緒くたに付き合ってもらう。
ちゃんと5月公演に向けて練習してますよ永井さん!ODFのために練習してますよAJAさん!
(ODF=お台場フォーメション)
僕のお祭り好きは「常軌を逸している」と言われるが、そんなことはないと思っている。
世間的には「鉄道オタク」のX軸300ピクセル位ずれた、ちょっと嗜好がずれただけの存在だと認識している。
鉄道オタクにはいろんな種類があるという。
撮り鉄、乗り鉄、車両鉄、蒐集鉄、駅鉄、などなど…
https://nanapi.com/ja/108576
お祭り好きも、ちゃんと分類したらいいんじゃないかな。
まあ、全部僕なのですが。
そして僕一人しかいない気もするのですが。
シールは、僕の映像機材に貼っている六町のもの。
使用機材によってマークを変えています。
そろそろ足りないので追加購入する予定です。
乗り祭-曳山に乗ることに楽しみを見出す。
山宿祭-山宿について詳しくなることに楽しみを見出す。
車両祭-曳山の分類や編成、車両の研究に楽しみを見出す。
蒐集祭-実行委員会の出すグッズの蒐集に楽しみを見出す。
スジ祭-祝祭当日の運行計画の分析に楽しみを見出す。
歴史祭-祭りの歴史を調べることに楽しみを見出す。
描き祭-お祭りの絵を描くことに楽しみを見出す。
チビ祭-祭り好きのチビッ子。かたかご幼稚園児。
会社祭-某海陸運送について研究したり株を購入することに楽しみを見出す。
法規祭-祭りに関するルールを学ぶことに楽しみを見出す。
車輪祭-車輪や焼き嵌めについて楽しみを見出す。
前日祭-5月14日の期待感に楽しみを見出す。
軍事祭-かっちゃに関して楽しみを見出す。
哲学祭-祭りの存在意義について想いを馳せることに楽しみを見出す
祭警祭-当日の警察隊に楽しみを見出す
音響祭-笛や太鼓の音色に楽しみを見出す。上町素晴らしい。
架空祭-想像上の祭りを作ることに楽しみを見出す。
大学時代、僕ら夫婦がいたサークルの先輩とランチをする。
彼女は言う。
母校愛が強いわけじゃないんだと。
「ただただ、4年間激しく濃密に共に過ごしたサークル仲間が人生の宝なんだよ。何年ぶりでも、瞬時に18歳に戻ることができ、無条件で信頼できる。私の強い愛はそこにあるだけなんだ。」
僕にとっても、それこそ1日も欠かさず、24時間を共に、同じ釜の飯と同じ屋根の下で過ごしてきた、先輩を含めての仲間たちは、今でも心の拠り所です。
20年経っても、変わらずそばに居てくださることが何よりの救いなのです。ありがとう。
そしてその夜は同じサークルの、同期連中と会食。
こやつらこそ1日も欠かさずに共に4年間を過ごしてきた連中だが、もう、その、なんだ。お腹いっぱいだ。そして、それでも。お互い結婚して子供ができて家を建てても、変わらずに一緒に飲み食い馬鹿話ができる。うるさいよお前ら、と言いつつも、やっぱり大事なのだな、と再認識。
そんなことを考えながら次の企画を考える渋谷午後2時。AndPeople。
企業も国家も、選択肢を持って対等に交渉してくる人間を嫌う。それも至極当然な話で、選択権を持てずに交渉できない人間を支配下に置いておいたほうが治安上もコストがかからずに、楽だからだ。
それが僕は嫌だったのだ。
(以下引用)
>政府やブラック企業を憎むのは依存しているからだ。本人に選択肢があるなら、憎む前にとっくに笑顔で他の選択肢を選んでいることだろう。
>ちなみに、真面目に税金払ったり、上司の顔色伺って死ぬほど働けば、いつか理解してもらって待遇が改善する、と期待するのは無駄というものだろう。
>選択肢というのは、意図的に獲得するための活動を行わない限り獲得できない。やれといわれたことをやることが、選択肢を生み出すとは限らない。むしろ、彼らは「ありがとう」と言いながら永遠にあなたを搾取するだろう。
僕は、会社を辞めろとか、日本を出て行け、という極端な話をしているのではない。ただ、必要ならば、そういう選択肢を実行できる状態にさえしておけばいいのだ。
「選択肢」というのは持っていること自体が交渉力を決定する。