ロングスリーパー

 某所で相変わらず「眠らないオトコ」扱いを受けている山本です。
 人とずれた生活スタイルで日々を過ごしていると、どうしても皆さんの認識にギャップを感じさせてしまうようです。
 たとえば、僕は昼から終電までの会社勤めをしているのですが、これだけを切り出しても「夜18時~22時に働いてるなんて、なんて働き者なんでしょう」的な目線を感じるのです。いやいやいやいや、皆さんが働いている朝9時~13時なんて僕はぐーぐー寝てるわけですからね。働き者じゃございません。
 さらには、僕は終電近くで帰って、そのまま映像を作ったり変なことしたりするのに朝5時くらいまで活動をしています。これを話すと「眠らないオトコ」扱いになるのです。
 上記2つを足すともう誤解されまくりになります。
 「終電まで働き、さらに朝まで活動するものすごい社畜ワーカホリック」と言われてしまいます。うん、確かに終電まで働くのも、朝まで活動してるのも、間違いじゃない。間違いじゃないのですが、
 朝から昼まで熟睡してることを忘れないでください。
 そうそう、ここからが本題なのですが、僕は非常にロングスリーパーです。
 基本的によく寝る体質で、一日8~10時間は眠っています。モノヅクリ屋は寝ないで仕事するのが当たり前、と思われがちですが、僕はごんごん眠ってます。そもそもモノヅクリ屋じゃないし(名目は)。20代の製作会社勤めの経験から、「眠らないと作業効率は十分の一レベルまで落ちる。これは回避できない。」ということを身に染みて理解してるので、回りから何を言われようとも、ぐうたら扱いを受けようとも、僕は徹底的に寝ることにしています。
 一番がんばってる人は、ちゃんと寝る時間を確保してる人。僕はそう信じてます。
 眠らないでがんばることは演出としてはアリですが、僕は極力避けたい。10倍時間を掛けたり10倍がんばれば10倍の結果になる、とは思っていないのです。
 じゃあ結果出してみろよ、といわれますが、それに対するご返答はまた後ほど。
 睡眠をたくさんとるということは、ストレスに弱いんです。ええ、皆さん僕に優しくしてください。
 

この声は小さすぎて 君の元までは届かない

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明け方の渋谷。午前4時半。
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明け方の高田馬場。午前5時半。
いつまでこんな生活ができるのか。またいつまでこんな生活を楽しんでいるのか。
よくわからないけど、とりあえずお天道様に背く事はしてないので、楽しみ続けていいのかな、と。
動いたら動いたでプレッシャーになるし、じっとしていたらしていたで焦りを感じるのが世の常。
その中で、限りなくストレスのない毎日を送れていること自体、奇跡に近い、です。
僕は自分で自分を断定しない。
僕は楽しんで、我が身の大いなる責任を、適当に果たしていきます。
僕が成長してるかしてないか、大人になったかどうか、なんてものは、皆さんが判断してくれて、それに僕は従わせてもらえれば良いんだよね。
判断した方が、皆さんの都合がいいときに。本当に皆さんありがとう。
自分の責任範囲、できる範囲も、成果も、お天道様が決めてくれます。
だから僕はいつも安心して、精一杯、一生懸命なんですよ。

Tumblr

 TumblrというWebサービスを使ってます。
 X-10 Royal Tumblr
 Tumblrとは、メディアミックスウェブログサービス。ウェブログとソーシャルブックマークの良いとこ取りをしているウェブスクラップサービスである(Wikipediaより)。
 と、まあWeb上の情報をボタンひとつでスクラップして、また自分のスクラップを他者に共有することで情報を伝播/共有スクラップを広げていく、というとてもWebらしいサービスです。
 簡単に言うと、誰かが佐々木希のかわいい写真をWebにアップすると、それをTumblrにスクラップし、それをみた誰かがまたスクラップし、と、またたくまに情報が拡散していき、また同時に自分の手元には肌色の豊富な写真集が出来上がるという素敵なサービスです。
 もちろん写真だけではなく、文章やTweet、ブログ、いろんなものをスクラップしていけるので、非常に自分の趣味嗜好にあった拾い物をまとめることが出来るのですよね。
 もちろん、自分で書き込むことも可能なのですが、どちらかというと他者のコンテンツをまとめていくことに活用する機会が多い(というかほぼ99%)Webサービスです。
 更には、こいつがまたiPhoneとの連携が素晴らしく良く、興味のあるものをひたすらリブログ(Tumblr用語でスクラップのことです)リブログリブログと繰り返して、またたくまにまたぴちぴちした肌色の多い写真集が出来上がっていくのです。
 それはよいとして、Tumblrを使っているうちに、いつも感じることがあります。
 今日の本題はココからです。ここまで前フリ。
 Tumblrを使ってて、いつも感じること。それはただひとつ
自分でコンテンツを生み出す事がしたくてたまらなくなる。
いや、Tubmlrって人のコンテンツを面白がって集めていくサービスなのですが、究極、僕が一番すきなのは自分のコンテンツなのです。不遜って言うな。小林よしのりも言ってるような「世の中でいっちゃんおもしろいのはわしの意見じゃい。」という気持ちを僕個人が持っているのです。
 だったらTumblr使うな、といわれそうですが、人の意見は僕の意見の次に面白いのでこれはこれで使うのです。
 無論、僕の作るコンテンツなど世の中の用途から見たらうんこでしか無いことは百も承知です。だけれど、僕は「紛れも無い僕のうんこ」をひねり出すことにこそ喜びを感じるのです。
 映像でも文章でもデザインでも、世の中に居る巨匠の皆様はうんこどころか栄養たっぷりのフルコース料理を生み出してくれていることはよくわかります。で、それを食べてうんこにしているだけの存在が僕なのもよく解るのですが、まかり間違っても人の料理を他人に紹介するだけの人間になるより自分のうんこをぶつける人間になりたいのです。例えがひどすぎる?
 自分の意見、思想、これらもコンテンツです。表現するときは演出も必要です。
 そして僕は自分の意見や思想を自分テイストで演出することが好きなのです。
 例えそれがうんこだとしても。みんなが逃げるとしても。
 受け入れられたい、と云う気持ちとはまたちょっと違うんですね。受け入れられることが目的なら、多分このブログは既に閉鎖していることだろうし。
 いうなれば、まさにうんこ。ひねり出すこと、排出すること、たくさん出てこそ健全。
 それをしないと病気になるのですよ。
 そんなことを人前でするな、と言われそうですが、そもそもアートは存在自体が(以下略)
今日はたくさんお下品な単語書いてごめんなさい。

Twitterとブログ

 えーと、今日の記述は僕個人の意見です。
 賛否両論あると思いますが、特に否定意見はどんどんぶつけてくださいませ。
 今、世の中にTwitterというWebサービスがあります。結構有名になってるのかな。
 Twitter
 いわゆるミニブログ、簡単書き込みお手軽更新、といった140文字の簡単なコミュニケーションツール・ライフログツールですね。
 もちろん新しい物好きの僕も大活用してます。ええ、自分大好きなものですから。自分の記録になるものとコミュニケーションになるものは活用しないわけが無い。
 僕が勤める会社では非常に盛んに活用されている為、僕の更新量はむしろ少ないくらいなのですが、あまりWeb界隈にいない人からすると、とてつもなく更新しているようにみえるらしい。大学の友人からフォローされると「Twitter一面がtaskyamamotoに占拠されてしまう」と言われます。特に僕は夜起きているため、深夜の更新が非常に多い。そのため、フォローしてる友人は朝起きて携帯を開くと、僕のミッドナイトつぶやきだけが綿々と並ぶというジェットストリームな朝を迎えることが出来るのです。
 うん、それは本題じゃない。
 そのTwitterに対して何か意見があるわけじゃない。あるわけじゃないのです。
 最近の潮流を見てて、ひとつだけ気になることがあって・・・。
 それが何かと云うと
 ブログとTwitterの両方を持っている人が、
 ブログにTwitterの記述を「本日のつぶやき」としてまとめ、転載することが如何なものか。

 ということです。
 うん、誰か個人に対して言ってるわけでもなく、僕の知り合いにも多数こういう活用方法をしてる人がいます。その人たちに意見していることも承知で伝えてます。
 実際僕もこのブログで一日だけそれをやってみたことがあるのですが、やはり相当違和感を感じたのですね。
 じゃ、何に僕が違和感を感じたかと云うと・・・。
 まず何より、ブログとTwitterでは使ってる言葉も文面も、閲覧顧客対象もコンテンツ内容も全く違うと僕が感じていること。
 俳句と小説、論文、ラブレターが全部違う文体、対象、制限を元に書かれているのと同じく、僕はブログとTwitterを全く別物に考えてます。ブログはどちらかというと僕に近い対象の方がターゲット。いうなれば、この僕の暑苦しさに耐えられる稀有な人物。なので、コンテンツも有る程度掘り下げて、論理(無いけど)的にも情緒(無いけど)的にもマーケティング(無いけど)的にも有る程度コントロールの効く内容、そしてそれに適した文体(になってるかどうかは別として)を使うようにしています。
 対してTwitterでは、ミニマルな思いつき、共感をベースにして不特定他者、関係が薄い人への発信と、公共の場での一対一のコミュニケーションを中心に考えます。リプライとかリツイートとかね。
 それを一緒くたにしてはならんと思う。思うわけですよ。
 校長先生の朝礼の話とプーチンの政見放送を一緒くたにしたらならんと思うのですよ。
 (どちらがどちらという意味は無いです)
 一日書いてみて、感じたのはまさにこれでした。
 もちろん、ここまで僕の意見、僕の私見ですから、これにあわせる必要は無いと思います。
 人それぞれ、考え方があるでしょうから、ブログにtweetを転載してもいいとは思うのです。
 ですが、もう二つ思うこととして、
 「別に転載してまとめなくてもtwitterのページで個人の書き込みまとめてみられるやん。」
 ということと
 「君のtwitterは確かに読みたい。だけどそれと別に君の暑いブログの文章も別に読みたい
 ということです。
 両方書くのは面倒くさい、と云う人もいるかと思いますが、それだったら転載そのものもめんどくさいと思うのですよ。
 多分、転載する方の流れとしては、こういうことだと思うのです。
 先に自分のブログが存在していて、ずっと書き込んできたのだけれど、twitterをはじめて、そちらに書き込むことがシフトしてしまい、とはいえブログを閉じるのも忍びないので、twitter→ブログへの転載を始めた、というパターンです。
 うん、解る。解るのだけど、できれば「転載しないで、両方書いてほしい」です。これが僕の結論。もっともっと裸の心をみせないか。もっとさらけ出せ。その人の色が濃くでているブログ、輝きが垣間見えるtwitter、その人の両方を僕は見たいのです。男女関係無く。
 twitterで書きたい事と、ブログで書きたい事、両方、別々にあると思うんだけどなぁ。
 気がつけば転載についてだけじゃない意見になってましたね。
 ブログしかやってないヒトには、ぜひtwitterを勧めたい。Twitterしかやってないヒトにも、ブログを勧めたい。理由は「両方読みたい」から。それだけです。
「お前ほど暇じゃない」「お前ほど暑苦しくない」といわれたらそれまで。

September

ぱーでぃやー。せいどぅーゆーりーめんばー。
ぱーでぃやー。だんしんいんせぷてーんばー。
ぱーでぃやー。ねーばーわずざくらーうでぃでえー。
モーリス様とフィリップ様のファルセットに魅せられて進む月。セプテンバー。
 そっかー。もう9月なんだー。去年の今頃は、あんなことやったりあんな事やったりしてたなー。て、去年とあまり変わってないし。毎日楽しいし。忙しいし。幸せだし。
 ま、それはともあれ、本当に
My thought with you. Holding hands with your heart to see you.
Only blue talk and love, Remember the true love we share today.
でありますように。僕の周りのみんなも含めてね。
 とにかく、9月は良い月だ。過ごしやすいし、酒は美味いし。
 Happyにいきましょ。うん。
 素敵な月夜くらい、みんなの幸せを願ってみてもいいよね。
 Earth Wind & Fireの曲を聴きながら・・・。
原文:
Ba de ya- say do you remember
Ba de ya- dancin’ in September
Ba de ya- never was a cloudy day
  September/Earth Wind & Fire
今日は始業式だね。学校関連、その他夏休みだった人、頑張ってね。
●9月頭の更新履歴
2000年/一年目
2001年/二年目
2002年/三年目
2003年/四年目
2004年/五年目
2005年/六年目
2006年/七年目
2007年/八年目
2008年/九年目
2009年/十年目
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 いよいよ二桁更新になってきました。
 これまでこんなぐうたらなブログに付き合ってきていただいた皆様、本当にありがとう。
 9月頭の更新をなぜか楽しみにしていただいている方も居ます。ありがとうね。本当に。
 「コレを見ると本当にX-10がちゃんと更新してるんだ、と言う気がします」とさえ言われてしまいました。別にコレ僕の生存確認じゃないのですが。
 ふと、自分の半生を振り返るのにもこの時期はいい季節です。なんつーか、人生の約1/3はこのブログ内に書き連ねてるんだよな。どれだけ自分大好きなのだ。
 これからものんびり、気楽に、適当に、好い加減で更新し続けます。
 皆様、僕が倒れるまで、よろしく。