42歳までに知ることになる、22歳の自分に教えてあげたい12のこと

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 元ネタはこちら
 僕がよく読むブログの紹介で知った回訓ですが、どうもそのブログが非公開に切り替えてしまったので、備忘録含め。自分でも22歳の自分に言い聞かせてみようと思い、こちらに記してみます。タイトルは42歳から22歳に向けたメッセージだけど、まあ37歳も42歳も世の中じゃたいした差じゃないよな、とりあえず37歳の自分から22歳の自分に向けて、と。また5年後に改めて見直して「馬鹿書いてるんじゃねえよ」と自分に叱りつけるのも一興だ。
 ここから書くことはあくまで22歳の自分に向けた書簡。過去の自分への伝達。本当にだらしなかった自分に向けてのみ記します。
1. 学校を絶対にやめないで継続する
 22歳と言えば大学4年生か。あー。これは22歳の頃、自分で大事にしていた気がします。とにかくできるできないじゃなく、自分の在籍する環境には、極力自ら降りようとしない姿勢は、良し悪し関係なく子供の頃から自然と身についてたね。
 あまり自分の居場所に疑問を感じない人間ゆえ、「学校辞めたい」とか思わなかったね。無意識に、「自分の流れに逆らって起こした行動はうまくいかない」とその頃から感じていたし。あまり有為無為で物事を計らない若造だったから、特にこの項に関して、君に言うことは何も無いや。ごめん22歳の僕。
 転職歴も多いのだけど、自分で職を変えようと思ったのは一回だけだし。じゃあ後は何だ、クビだったのか。そうか。
 まあ職まで話を広げなくても、学校で身に着けるべきは、とにかく「素地」だったんだな。と思います。それはすぐ役に立ったり、金銭に転換できないものだけれど、あの頃だからこそ吸収できた栄養素です。
 ただ、本ね。そのときも沢山乱読していたのを知ってるけど、もっと読んでおきな。社会に出たら解るけど、ちゃんと会話できる人は君よりももっともっとたくさんの本を読んでる。君の居る大学・君の居るの文学部はどちらかと言えば力量のある読み手が多く在籍してる場所だけど、世の中に出たらそんなもんじゃないから。そりゃもう比較にならないくらい。
 そして、読んでる量は実はそれほど重要じゃない。大事なのは、「活字や情報を浴びても咀嚼できる力とスピードが身についてるかどうか」、そして「基盤となる知識が身体にしみこんでいるかどうか」だ。本を読んで無くてもこれが身についてる人はごく稀に居るけど、そんなに多くない。だけど、本を読むことはどんな時代になっても最も効率的な訓練だ。そんなことを考えて本を読んでる訳じゃないし、ただ好きで読んでる君のスタンスは間違ってないけど、それならば嫌いになるくらい浴びてみるのも良いもんだぞ。本を読むことは食事みたいなもんだ。もっと胃袋鍛えておけ。消化できない身体はすぐに餓死に繋がるぞ。
2. お金は腐らずに残るもの ─ 投資は早く始める
 コレは君にはっきりいっておきたい。その金遣いの荒さとだらしなさは一刻も早く改めたほうがいい。嫌なものや借金から見えない振りして生きるその癖はその後思いっきり自分を苦しめるぞ。
 別に40近くなっても投資に興味持たないから、早くはじめるもへったくれもないけどさ。
 そもそも君、お金に全く興味ないでしょ。
 どういうお坊ちゃん育ちすればそうなるのか、今の僕から見ても22歳の僕は不思議で仕方ないのだが、金に執着しないその性格はどうやったらできるんだ。そんなに金持ちでもないくせに。
 そもそも金で買えるものに全く興味ないし、金持ちになる夢も持ってなかったんだよな。将来の夢は作家で名声と信頼があればそれで満足、後はみんなから庇護をもらえればいいという正真正銘のヒモ気質だし。
 でも今だからちゃんと言わなければいけない。ただ生きてるだけで金は当たり前に出て行くし、金が無いことで失う信頼や行動範囲は本当に大きい。22歳の君がそれだけの行動範囲で動けることはあくまでお金が無くてもできてるのではなく、両親や誰かが補填してくれているからできているだけで、その分は自分で得なければならないのだ。その後も自由に動けている気はしているが、それは偶然の幸運が重なってここまで来てしまっただけ、本当ならなにもできなくなっておかしくなかったんだぞ。
 そして何より(この記事を教えてくれたブログにも書いてあった言葉だけど)、人は簡単に死なないから。君は30歳から、仕事もそっちのけで生きる死ぬと言った事をいやでも徹底的に考えなきゃいけなくなる。生きることに苦しむ人と毎日毎日禅問答を繰り広げなきゃいけなくなる。生きることって22歳の君が考えるほど簡単じゃないし面倒だからって辞められないキッついものだって解るよ。その分楽しいことも沢山あるけどさ。
 人は簡単に死なないし、生きてる限り、人に迷惑をかけ続ける、と言うことをイヤになるくらい知る。更には、「とてつもなく大きな被害を与えてしまう」迷惑をかける日が来る。生きてれば必ず数回は来る。その時に被害を最小限にとどめる、リスクヘッジに最も効果的なのは、金なんだ。別に楽しんだり遊んだりする為に金がある訳じゃないんだ。その辺良く知っておいたほうが良い。君が22歳でコレを知ってたら迷惑かける人も少なかっただろうよ。
 そしてその時に、人間は逃避しないといけない。全然悪いことじゃなくて、どこかで自分を再生しないとやっていけないし、そういう余裕はみんなに与えられている。だけど、自分の傷を癒したり、閉じこもる場所を確保するためにも金が必要だから。家に居れば良いなんてもんじゃないから。この世界から逃げることはできない。自分の場所をきっちり作っておくためにも、金の使い方は若いうちに覚えておいてくれ。頼むから。
 3. 第一印象で家を買わずに、近隣の住宅環境に恵まれた安い家を買う
 あなた家買わないから。でも買うときには第一印象で買いそうだからいっておく。きちんと考えろ。
 あと、26歳のときに車買うのだけど、そのとき第一印象で決めただろ。なんで販売店に初めて行ったその日に買うんだよ。CDコンポが付いてたというだけでトヨタのサイノス買うんじゃない。いや、今思っても間違った買い物してないんだけどさ。
 そもそも結婚も第一印象だし。どれだけ人生のターニングポイントをフィーリングで決めてるんだ。
 あなたはインスピレーションで動いた行動に対して、それを絶対真、正しいと思える能力が高すぎる。
 地図も見ないで道を選んで堂々と誤った道を突き進む性格、そしてねじくれたロジックで正当化する能力、あんた、すごいよホント。それは個人としてはすごい幸せな能力だと今でも思うけど、周りから見たらただの馬鹿だから。
 崖から転げ落ちても「正しい選択と行動だ」と信じ込めるその発想力は、われながらすごいと思う。自分ひとりで教祖と信者を同時に演じてるよ。ほんと、お手軽なセルフ宗教にしてセルフ狂信者だと思うよ。でも、それはもっと頭使って行動する人間のもつべき信念だからね。適当にフィーリングで決めた道をいつも絶対真理と思って歩くのは、ただの「誠実すぎる馬鹿」だぞ。
 打算的になれとは言わない。だけど、ロジックを考案して、それから行動する能力は圧倒的に欠けてる事は早めに理解しておいたほうがいい。
 人は君がおもうよりずっと考えて生きてる。考えてないの君だけだ。僕の知る限り。
4. 予算内で生活をする癖をつける
 2番とつながるけど、あなたこれも全くできてないし。今でもできてないし。
 でもね、君はこれから会社やったり会社員になったりフリーランスやったり、それこそ想像してなかったほどにジェットコースターロマンスな人生を歩むのだけど、どこでどんな仕事してても予算と決算はついてくるからね。順番は逆になっちゃうけれど、できれば会社に属している間に、予算の勘所をしっかり身に着けておいたほうがいい。どこの会社にも、予算と決算に鼻がきいて、年度にぴったり抑えられる人が居るから、その人の行動をしっかり見ておくことだ。
 あと大きな予算の使い方を見ておくこと。これ、早めに見ておかないと本当に後悔するよ。面白いもので、フリーだろうが会社だろうが、その人に扱えるだけの予算しか割り当てられないから。大きな仕事をしたければ、大きな予算をしっかり扱えるようになっておけ。生活だけじゃなくて、仕事のためにも。やりたいことのためにも。
長いので、とりあえず4番まで。5番から先はおって。

3月11日

 この日を語る言葉は持っていない。
 何を書いても、うまくまとまることはない。
 その日は公休日で、友人夫婦と新宿にてんぷらを食べに行く約束をしていた。
 我が家としては非常に珍しく、(リハビリを兼ねて)家内が一人で先に都内に出ていて、僕が自宅に一人で過ごしていた。こんな状態は年に2,3度あるか否かだ。かみさんが外に出るときはほとんどの場合僕が付き添っているし、僕が仕事に言っている間、かみさんが家から出ることは滅多に無い。
 僕は一人で自宅に掃除機をかけたり、映画を見たりと過ごしていた。
 2時46分に何をしていたか、はっきりと覚えている。PCに向かってメールチェックをしていた時だった。
 iPodからは最近愛聴している「Snowbound / Donald Fagen」が流れていた。
 
 揺れた瞬間は、よくある、いつもの地震と思っていた。
 が、次々と大きくなる揺れに、恥ずかしながら一瞬にして怖くなった。
 生まれて初めて机の下に隠れた。PCの載っているラックを必死につかんで、震えていた。
 棚から段ボール箱やテレビ、荷物が数多く落ちてきた。
 スピーカーから流れるDonaldFagenの声、美しいフレーズが一層クリアに聞こえた。そのゆったりしたハーモニーが、余計に怖かった。
 揺れが収まってから、少し深呼吸をして、机下から出た。
 
 事の重大さに気がついたのはそれから15分ほどしてからだった。
 連絡が取れない。電話が繋がらない。メールも不通。テレビもtwitterも各種メディアも、混乱してて良くわからない。とにかく、なんだか大変な事が起きていた。ただ、それが何なのかは解らなかった。
 阪神大震災の時、僕は大学2年生だった。
 西武柳沢に借りていたワンルームで、当時の彼女とテレビを見ながら、現実の事と感じられないその「メディアの先の混乱」をどのように自分の中で消化するか、別の意味で混乱していた。
 どちらかというと「湾岸戦争」や「ベルリンの壁崩壊」をテレビの先で見ていたときと同じ感覚だった。
 申し訳ないのだけれど、関東に住んでいて、大阪や神戸に一度も足を踏み入れたことも無く、人生の経験値も少なく、想像力も貧困な自分には、あの当時のことを現実のこととして受け入れることができなかったのだ。
 今回は、明らかに肌でその威力を感じた。自分の肉体と繋がっている場所で何か大事変が起きた。多数、繋がっていることを当たり前と思っていたメディアやツールが混乱した。自分は何もできなかった。
 ただとにかく、人間として、組織人として、家長として、やるべき事をPCの前でやるのが精一杯だった。
 一つは、かみさんを安全な場所に誘導すること。
 一つは、会社と連絡をとりながらでき得る対応を行うこと。
 できることを全部できたかどうかは解らない。とりあえず、かみさんは友人の家に避難することができた。(宿泊させていただいたYさん、とても感謝してます)
 
 それから先の一週間は、数多くの日本人の総意とほとんど変わらない。得られるニュースも、その中で考えることも、できる対応も、変わらない。今はただ、日本人の一人として、できる限りの支援をしながらも、平時と変わらずに、復興のため、次の繁栄のために精一杯がんばること。
 ありきたりな結びだけど、できることをやりきる。しかない。
 今自分の居る、この状況を、ありがたく受け入れて。
 日本に生まれて日本で育った、社会に属して生産と消費を行う一人として、がんばります。