ちょっと待てえええ

  苫米地:清原さん? でけえなァと思った。威圧感? いやストライクゾーンが広いなって。江藤さんにぶつけそうだった? スッポ抜けちゃいましたね。でも当ててもいいやって思っていた。だって仲間じゃないもん。

 昨日から九州に飛んで、温泉に入って気持ちよく仕事して、いい感じでうちに帰ってきたところで読んだ記事がこれ。今日はこのコーナーに気持ちよく別府温泉のこととか宮崎農業科学館のこととかモグラ博士のこととか書こうと思ってたんだけど、延期。おいらには珍しく、スポーツ界の話題について。ちょっと頭来てまっせ。

 なんだおい、この苫米地って奴は?何者かはよう知らんが、とんでもない事を抜かしとるな。おいらは野球はやらんし見ないからえらそうなことは全然言えないが、直感でも「この言葉はおかしい」と感じるぞ。投手が打者に対して「仲間じゃないから当ててもいい」なんて、「仲間じゃないから殺してもいい」っていってるのと同じではないか?まあ、記事の全貌から察するには、達川監督が江藤選手を攻撃的に責めていった、てことを言いたくてこのようなセリフが飛び出したのかも知れないが、それでもやっぱり言い過ぎだ。相手との舌戦にしても、言っていいことと悪いことがある。

 スポーツマンは紳士たれ、なんて古臭い言葉を出すつもりは無い。しかしそれなりに自らの能力の極限で対抗する遊戯(スポーツをはじめ、囲碁、将棋等も含む)は、その人間能力の臨界点上で争うが故に一般社会より厳しいマナーを要求されるものだろう。そうじゃなきゃただの殺し合いになっちまう。お互い相手が力を出し切っていることに尊敬の念を抱いているからスポーツはかっこいいんだ。ストイックに自分の能力を引き出し、精神世界を高めたもの同士が争うからスポーツマンは美しいのであって、ただの筋肉馬鹿がスポーツをやったって美しくないよ。何が見たくてスポーツにお金を払っているのか?少なくともおいらは醜い殺し合いが見たくてスポーツ見てるんじゃないよ。自分たちよりも「すごい」人たちが戦っているのを見たくて見てるのだ。それは運動的な部分だけじゃなくて、人として。野球とはジャンルを異にするけれど、相撲だって横綱はいわゆる「鬼退治」のための人格者、人間代表でしょ(違ったっけ)。人格者への道のりとしてスポーツがある、なんて言うと言い過ぎかもしれないけど、やればやるほど人として磨かれるのがスポーツじゃなかったっけ。日本でのスポーツの根本には「武士道」があると思うんだけど、「礼節の上で命を張る」武士道としてのスポーツは消えてしまったのかなあ。苫米地の言葉からは武士道らしからぬ、以上にアンチ武士道みたいな匂いまでするぞ。相手を尊重しろといっても、もちろん敵に優しくしろなんて言う気は毛頭ない。でもここでいう「敵」は、人間としてではなく、スポーツ上の相手としての敵だ。同情したりする必要は無いが、人間としての本道を外れる行為をしていい相手ではない。「反則技」はショーであるプロレスの専売特許だろう。というか野球が反則技を出し始めたらプロレスの存在意義が無くなっちゃうぞ。

 話がそれた。投手が打者に「当たってもいい」ボールを投げる事は「殺す」事じゃないのか。実際にデッドボールで野球生命奪われている選手もいるだろう。しかもその理由が「仲間で無いから」・・・。情けなくなってきた。彼はスポーツで何を学んでいるのだ。何を学んでても知ったこっちゃ無いが、こんな奴がいる世界を僕はスポーツとは認めたくない。頭が硬いといわれようが、やっぱりスポーツは紳士(もしくは「武士」)同士の戦いじゃなきゃ見る気もやる気もしないよ。少なくともおいらは。


 あと、この苫米地投手に好意的に解釈し、この言葉は新聞記者が勝手に捏造したものと考えることもできるな。そうしたら話は別に飛ぶ。

 新聞記者として公に文章を載せて収入を得ている者なら、文章力以前に一般常識と、自分の専門分野に対する情熱と知識をを有してから書くべきでしょ。そういった人間たちが集まって書いているから、僕は新聞にお金を払うのだ。ただ調べたことを書くだけなら、新聞とは名ばかりでそれはこのホームページのようなただの駄文集合体だよ。「仲間じゃないから当ててもいい」この言葉は野球に「正しい形の」情熱を持っている人間には決して出てこない言葉だ。ていうかこれはただの「戦争」ではないか?スポーツを勝ち負けのみの戦争に捕え、大衆の文化として考えてない者にスポーツ記者をやる資格は無い、でしょ。

 なんか恐ろしい文章になっちゃったなあ。怖いので、モグラ博士の写真を載っけて、終わりにします。さよおなら。

文体

 今日は元に戻らない僕の文体への言い訳。


 私、実は文体が元に戻らなくなってしまったんです。


 あきゃあ。あっぱっぱ。

 そんな文体を使用してずっとこのコーナーを書いてきて、ここ一月の間、毎日あっぱっぱに書くのが日課にまでなっていました。読んでくれてる人ありがとう。だけどここ2週間ほどパソコンがないやら忙しいやらで、更新を怠って=文章を全然書いてこなかったんですね。「パソコンくらいなくても文章はかけるやろ」はい、その通りです。でもなまくらなもんで、書かなかったんです。ごめん。そうしたら、それみたことか。元の文体に戻らなくなってきてしまいました。昨日のは何とか形作ったんですけど、そのときにこの「文体・文章」っていうものの存在をものすごい実感しました。言葉上では「文体=その人の文章の特徴」なんてよく使いますが、自分で実感することは今までまったく無かったんですね。

 前にもこのコーナーで「文章が体になじんできた」なんて書いたことがあったけど、そのときは全然いいかげんな意味で「ああ、へらへら書けとるわ」くらいに、「毎日書くのが苦じゃない」くらいの意味で書いたんです。でも、昨日の文章を書いてるときに「おや、なんか全然言葉が出てこんぞ」と、不思議な感覚にとらわれちゃいました。なんか自分の本意の言葉で無いとゆーのか。書いてて肩のあたりがまた痒くなってきたわけだ。いや、昨日みたいな「ちょっといい話(と自分で思ってること)」を取り上げることもたまにはしたいんだけれど、そういう時ってもっと自分の文体に自信を持ってないと照れ臭くって筆が進まなくなるんだよね。いい話であればなおさらもっと自分の言葉で伝えたいっていう欲求が出てくるんだよ。いやはや、こんなことってあるんだなあ。スポーツ選手だと、「1日休むとタイムが落ちる」何ぞといいますが、おいらみたいな、もっともっともっと低次元の世界で生きてる人間にもそれを体感できるなんて思ってみなかったぞ。あんまりうれしくないけど。本当に「休む前は結構体に文章が入ってたんだなあ」と感じちゃってます。またそのうち書いていれば戻るんだろうし、「文体なんぞ100年早いわ」なんちゅう言葉もどっかから聞こえてくるんですが、それはそれとして書かなければいけないので、とりあえず今日は今までのへらへら文体100%ではなく、中途半端に宇能皓一郎文体を真似てみました。だってへらへら文体がでてこないんだもーん。

 話は全然変わるけど、明日から宮崎へ飛びます。また博物館のメンテナンスね。大分で別府温泉でも入ってくるわ。それじゃ。

お手紙

思いがけない 5月の 通り雨

少しだけ 思う あなたを

水たまりで 跳ね回る 子供たち

少しだけ 思う あなたを 私なりに

            (おかしな二人・ユニコーン)



 今はまだ2月。あんまりにも寒いので、水たまりではねる子供なんかいませんね。昨日の通り雨でふと思い出したフレーズです。

 1週間ほど前にとある人からお手紙をいただきました。メールだ何だと言われてる昨今、直筆・郵便局経由のお手紙というのはとても心に染み入るものですね。郵便受けに手紙が入っていたときのうれしさは、ここ久しく忘れていた感触でした。

 心の声1:おい、なんか今回文体ちゃうなあ。

 心の声2:まあ、まともにReelin書くの久々やからしゃあないやろ。

 書簡の内容はまあたわいもない(失礼)近況報告でした。しかしその内容より、手紙という心の伝達手段があることを改めて思い出させてくれたことに、僕は感謝と感動を感じています。

 メールで打たれた文章。それもまたレスポンスの速さやお手軽さ故に意味はありますし、それはそれで好きなのですが、やはり直筆の力にはかないません。内容はメールと等しいものでも、一字一句をペンでかかれた文字列はメールのそれよりも強く相手の表情や書いているときの空気をこちらに感じさせます。ずっとメール、電話、直接の面会、この3者の手段ばかりを使って他人とコミュニケートしていて「手紙」という手段を忘れそうになっていましたが、この手段のもつ力は偉大です。饒舌な何行ものメールや何時間の電話よりも、一言の直筆がより多くを物語ることは必ずあります。

 そんなことを考え、今日は一日過ごしました。なにやってるんだろおいら。


 

復旧

 ついにパソコンを買ったぞ。
 「パソコンがほしいよお」と思い始めたのが小学生のころ、友達のPC-6001MK2が「こ、ん、に、ち、は」としゃべるのに感動した時だったなあ・・・。それ以来、デスクトップに対する愛着があったにもかかわらず、自分の機械は手に入れずじまいで今まできてしまいました。16年目の感動。2年前、MACの「POWERBOOK1400/CS」を手に入れたにもかかわらず、ちょうど保険の切れたころに破壊。未だ直らず。何てこともあるがこれはまあ、いまのところなかったことにしよう。かわいがってはいたんだけど、あまりにも酷使しすぎたようで、液晶モニタが破壊。しかも外部ポートなし。どうするんじゃ。修理に出したら6万近くかかるらしいぞ。結局直すのをあきらめて、デスクトップを購入したというわけです。こいつもそのうち、おいらに技術が身についたら直してあげるからね。
 とりあえず、お金を持って秋葉原に買いに行きました。自作機を作る欲望に駆られつつも、まずの本意は「1・企画書レベルの作業がこなせること。2・安定して、早急のメール、ネット関連の環境を整えること」の二つなわけです。自作機を作る時間があるのは今だけかもしんない、という思いといきなりちゃんとした機械を今日明日中に作れるわけはないかもしんない、という思いが交錯し、いろいろ迷ったけれども結局買ったのは石丸電気でバリュースター・・・素人かいおいらは。はい、素人です。

 でもまあ、見栄えもかわいいし、かわいがってやりたいね。プリンタやらスキャナやらつけても6桁ちょっとはみ出したくらい。中古屋もたくさん見たけど、セットで一気に買うとやっぱり量販店が一番格安みたいだなあ。プロが見るとまた違うのかもしれないけどね。これから価格調査も勉強しないといけないな。自作機を作るときは1パーツずつ吟味したいしね。ああ、自作機、作りたいなあ・・・。一瞬後悔もしたけど、とりあえず安定した作業環境を作るのが第一なので、まずはこれでよしとしよう。ちょっと日寄ったな、と思った人、正解。自分で稼いだお金なら乱暴できるけど、今回はね。これから趣味にお金をかけれるようになったら絶対作るぞ。いつだよ。

 「安定、保険、早急」なんて珍しいことを本意において買ったパソコンのはずなのに、買っていきなりやったことは分解とバイオスいじり。自作機への思いが歪に噴出したぞ。なんなんだおいらは。いきなり保険利かなくしちゃったみたい。あほだああ。