お仕事

 今日はクライアントとの打ち合わせで、帰ってきたのが朝の3時。


 6時間に渉る打ち合わせは初めてだ。(夜8時から打ち合わせする方もする方だ。)そもそも、前段階がずれているところから、平行線のままお話が進んでは、そりゃ何時間かかっても終わるわけが無い。

片や「このCDを取得する人は全員閲覧できる環境を提示、サポートするところまでが御社の品質責任だ。」片や「このCDの推奨スペックを下回る環境での閲覧についてはユーザーの自己責任だ。」いわゆる営業開始時点での意思のすれ違い。旧式PCで最新ストリーミング映像を見た時に起きる不具合についての責任の譲り合い。ああもう。僕の4時間を返せ。


 それにしてもパソコン/コンピュータと言う奴は罪作りだな。一台一台が別々に進化(Upgrade)するため、全てのハードで共通に使うことの出来るソフト、てのが無いんだもんな。そして、使う人の中には、ビデオと同じで、「同じハードに同じソフトを入れれば同じ映像が映るはず。そうでなければ欠陥品。」と言う意識が深く根付いているわけで。


 作る立場の僕としては、当然前者の立場でクライアントに説明をする。でも、そういう僕も、根底はハイブリッドな機械音痴。後者のような意識も分かるだけに、辛い打ち合わせだった・・・。

イジめたい

 いやね、僕、あんまり、と言うか全くテレビ見ないんですけどね。

 昨日久々にテレビを見ていたら、竹内裕子が出てたんですよ。

 いや、確かに、美人です。好きです。でも僕が言いたいのはそんなことじゃなくて。


 ええと、なんて番組だったっけ。よく分かりませんが、チームに分かれて食べ物を食べあって、嫌いなモノを当てるとか何とか、そんな企画だったと思います。


 で、何ですが。



 どうしてイジメられてる女の子を見るとこんなに気持ちがいいのでしょうか。



 なんつうか、こう「きゅん」としませんか?ねえ、しませんか。あ、そう、しませんか。

 竹内裕子が嫌いなもの食べさせられて、涙目になってるのを見てると、何だか小学生に戻って「気になる女の子にちょっかいをかける悪ガキ」の気持ちになっちゃいました。ああもう、たまらない。好いわぁ。僕も竹内裕子イジメたい。あんな事やこんな事したい。むらむら。


 僕変な趣味してるでしょうか。


 でもねえ、今でもそうなのよ。気に入った女の子にはすぐちょっかいかけてイジメるの。大学の後輩もよくイジメました。

 んでもって、その後でちょっと優しい仕草見せるのね。いつもそうやって女の子と仲良くなるきっかけを作るんです。真正面から仲良くなるのは恥ずかしくって赤面しちゃって出来ないもので。何か?



 と言う訳でイジメるのは好意の表れなんですよ。分かってください。分かってくださいってば。ねえ、そこの会社の同僚!Tさん!



 だからすぐ泣きながら上司に稟議書と辞表持っていくなってば!



 僕のクビは性癖と仕事の間で揺れ動いてます。つまり僕がイジメられてます。全然むらむらしません。

 僕は現在、自宅から会社まで電車で片道約1時間(市川~板橋)かかるため、その間をどのように過ごすかが僕の人生の一大プランとなっています。なんたって、一週間で往復計10時間を電車内で過ごしてるわけだからね。一ヶ月だと40時間!10秒連射ができれば、864,000回転で(略)(略)(略)(略)しおれけるなり我が金玉。


 で、最近、通勤中はパーネルホールの作品を愛読してます。


 Links to Parnell Hall


お人よしで気弱な探偵・スタンリー・ヘイスティングスが活躍しないで問題を解決する一連の推理小説群を書いてる人です。

あんまりねぇ、推理小説って読まないんだわ。頭悪くて、途中で何がどうなってるのか分らなくなるのよ。ページめくったら「あら、こいつ死んでたんだっけ?」とか、「何時の間にアリバイがあったの?」てな感じで。読んでて取り残された気分になるんです。なんつうか、一言一句神経を張り巡らせてきちんと読んでいかないといけない小説ってのがついていけないんです。そんなに注意力無いんです。勘弁してください許して下さい。延々と探偵の独白なんかが続いたりすると眠くなるんです。「ページを4,5ページうっかり飛ばしても伝わる分る推理小説」なんてないですかな。そもそも飛ばし読みする奴が悪い。

江戸川乱歩は結構好きだったけどね。あれは推理小説じゃないか。


まあ、そんな中で、ホールの作品は区切りがはっきりしてて読み易いです。推理云々でなくスタンリーのおトボケぶりがいい感じ。つうか推理はどうでも良い。推理や理論構築ではなく、単に読み物として面白い。推理小説というか、落語的な楽しさだな。主人公がトボケテルから、読んでるこっちがトボケてても全然気にならない。やっぱねぇ、息抜きで小説読んでるんだから、あまり気合入れないで読みたいよね。本を読むときぐらい、マグロにさせろ。<誰に言ってる?



 ともあれ、パーネルホール、良いですよ。是非読めれ。



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 競馬好きの愛読書・ディックフランシスも読んでみたけど、あれは訳者が悪いのかなぁ、思ったより良さが伝わってこなかったぞ。多分原文ではもっと面白いんだろうなぁという雰囲気はあるんだけど、巧く伝わってないのが読んでてもどかしい。「ああここはとっても力入って面白い文章なんだろうなぁ」と言う雰囲気だけ分って、実際に伝わってこないのがすんごいもどかしい。


 何だかんだ言っても、通勤時間って読書するのが一番落ち着くよね。

しわしわ

 最近、いろいろと年を感じることがありまして。


 風呂に入ってると思うわけですよ。玉の伸び具合とか。うん、そうそう、その玉です。金玉です。読み終わった最後に「なんだ、そっちの玉のことだったのかー。」みたいな引っ掛けはありません。金玉です。睾丸です。陰嚢です。

季節は春。麗らかな陽気に誘われて、暖かくなる良い季節。寒い冬の間はしゅわしゅわと縮こまっていた玉がですね、だれんと伸びてきてしまうわけなのですよ。え、何か変な話してますか?僕は至って真面目ですが。


 その伸び具合がですね、以前までならまだ、色艶の良いというか、しなやかさがあるというか、その、伸び方にも元気があったわけですよ。例えて言うなら、バレエダンサーが一瞬緊張を抜いたしなやかさの様な。青々と茂った樹木の枝がしなる様な。


 それがですね。昨日お風呂に入ったらですね。その昔銭湯で見たような、おじいちゃんの股座に付いているような、哀れにしおれた元気の無い睾丸が鏡に映ってるわけですよ。怖いですね恐ろしいですね。曰く干し柿。曰くスーパーのビニール袋。哀れなり我が金玉。岩清水の様にしとしとと精を溜め込むなり我が陰嚢。




 蒼き夜に 桜満つるも 我が陰嚢 心無くとも しおれけるかな  
                   (読人:X-10)


 見た目では全然違ってないのでしょうがが、それでもやっぱり元気なく感じます。



 年を取るとはこういう事なのでしょうか。




 書いてることが訳分かりませんね。


 春になるとはこういうことなのでしょうか。(僕の頭が)