今日は会社でお世話になってるKatyさんちの自宅飲みに参加。
総勢10名近くの皆さんと昼間からおいしいビールを片手に、のんびりした休日を過ごしてきました。
いや、まあそれはそれでいいんです。いいんですがね。
問題はそのときの服装ですよ。
知ってのとおり、相変わらず僕はお洒落に興味は無く、着て行く服には無頓着なんですよ。
こう云うときは大体かみさんの言い成りになって、言われたものでコーディネートして行くことになります。
お仕事の日などはそれなりに仕事にあった服を選んでくれ(主にスーツ)、問題なく活動できるチョイスをしてくれるのですが、
オフの日は結構アバンギャルドな服をチョイスされます。
うちのかみさん、どちらかと言うと若い服装が好きでして、どっちかと言うとヤンキー、B-Boy、like a学ランスタイル、とび職風、原色、と言う格好が好きなんですね。
で、僕もむしろそういう服装が好きなのですが、
問題は、着て行く中身が僕(34つ)だってことです。
僕の風貌と年齢では正直、シックでおとなしめな服装を選びます。強いてこだわるならワンポイントくらいアクセントはつけますが、むしろ色とスタイルではアピールしないものを選ぶようにしてます。
で、
今日のチョイスは原色オレンジのハーフパンツに、「けんかやま」と書かれたTシャツでした。
えーと、あの、これなんて羞恥プレイ?
しかしながら僕は自分のセンスに自信が無く、基本的にかみさんに任せているので、そんなこと聞けるわけもなく、
「これでばっちりね」
「ああ、ばっちりさ!」
と変なテンションのまま「かみさんの言う事なら間違いない」とオシャレコーディネートとして自信をもって街に出ました。
横浜の街を歩いたらみんなが十戒のように避けていきました。
(むしろ横須賀あたりだと受け入れてくれたと信じています)
で、Katyさんちに付いた瞬間
「えーと、その、何で?その格好?」
(京都府 N・Nさん)
「出た!オレンジマン」
(神奈川県 T・Sさん)
「・・・・・・・・・」
(鳥取県 K・Nさん)
「宇ヴぁq;おう3くtg9あぽれjgかおp(得体の知れない笑い声)」
(滋賀県 Y・Mさん)
皆さん快く出迎えてくれました。
今僕は壁に向かって部屋の隅で体育座りしてます。だれか心配してください。
月: 2008年4月
精神の病
今更隠し立てする事も無いのですが、精神的な病を患って久しい家族と二人暮らし、発症したと認められてから既に6年が経ちました。
その間、ずっと病院に通ったり、私が医者と面談したり、いろいろ行ってきましたが、まあ本当にそれこそ世の中の「見てこなかった」一面をいろいろと見ることになったわけです。
本当に、この世の終わりのように泣き叫ぶ女性や、いきなり倒れこむ女性、そういった悲鳴を聞きながら待つ診療室。
どこまでも果てしなく絶望の淵から出てくることのできない思考方法が人の頭の中に存在する事。
愛されず育つと云う事がどこまで重い事なのか。
救いを求める糸をほとんど断ち切った後、一人で背負い込む事の難しさと自分の非力さ。
この国の体制。一切こういった精神の病の部分を切り捨てて繁栄してきた国家。
救いの無い怒りを毎日背負い込みながら、全ての生活事象を行う日々。
なんなのだろうか。この世と自分のことが理解できなくなってきます。
あまり具体的な事象を語りすぎると、涙が止まらなくなるのでこの辺でとどめておきます。
闇を覗き込むとき、その闇もまた自分を覗き込んでいる、とは良く言ったものです。
病って、怖いね。
ゲームについて
一言で言うと、僕の半生はゲームで埋め尽くされています。
幼稚園で電子ゲーム(と言う言葉がわかる人がいるのか?)に出会って以来、僕はゲームの虜でした。ファミコンの前のTVゲーム乱立時代。
それこそ今でも麻雀やモノポリー、将棋チェスに至るまで、なんでもたしなみますし(決して上手とはいわない)、マニアックなものでは「たんば」や「ドラクーン」まで、何でもしました。無節操なのです。
最近たしなむものは、いわゆるテレビゲームが多くなってしまいがちで、好きなゲームはほとんど任天堂で占められます。「メトロイド」「ファミコンウォーズ」「ゼルダの伝説」「ファイアーエムブレム」については気違い沙汰です。麻雀や将棋もするけど、なかなか相手がいないからね。
そんなわけで、幼い頃はやはりゲームクリエイターになりたいと思ったこともありました。小学生の頃とかね。ただ、そんな中でも、心の底から作りたかったのはロールプレイングでもシューティングでもなく、「ボードゲーム」でした。
自らの手でモノポリーを作る、将棋を作る、麻雀を作る…結構自分でいろんなカードゲームやボードゲームをA0紙と厚紙のカードを使って沢山作り出してました(小2ぐらいの頃)。とにかく、作りたかったのって、システムなんですよね。
楽しませてくれる舞台と律を生み出すこと。それが一番好きだったのです。
グラフィックや物語性には全然ひかれたことが無く、興味もわかなかったのです。キャラクターにもね。
絵は誰か描いてくれるだろうぐらいに思い、物語性にいたっては、そのボード上で行われることそのものが物語なんだから文句言うなくらいの傲慢さでした。
僕がゲームクリエイターになりたい、と思ったきっかけって、単純に「神になりたい」なんですよね。全ての秩序を構築して、その中で他人が楽しんでもらいたい、んですね。「神」が不適切なら支配人でもいいや。
将棋のルール、麻雀のルール、含めて、ルールメーカーでありたかったのです。
もしも世に、「ボードゲームクリエイター」と言う生き様を職にできる道を見つけられれば、その道に進みたいと思います。で40才までで蓄財して50才で祭り三昧の人生を(略)。
ルールメーカーって、不遜な考え方かしら。
Muudie
筆が進まないなぁ。会社勤めも4年を超えると、なかなか放言しづらくなってきて、それはそのままこのサイトの記述が進まなくなることを意味します。今まで如何に好き放題言葉を発してきたのか、振り返ってみると恐ろしくなります。素のままで世の中とコミュニケートするのって難しいのね。え、言い訳は良いから早くしろと?はい、すみません。
ここはKamaさんのサイトhibi-no-logをリスペクトして作られたSteelyDanのファンサイトです。
【ドリームシアター】
X-10はストレスが溜まるとCDやDVDの衝動買いに走ります。先日購入したのはTOTOのライブDVDとStonesのライブCDとSteelyDanのDVD(実は同じの持ってた)とコイツ。久々に聴いたドリームシアターです。変拍子変態超絶技巧テクニカルバンド大好き。
Links to Dreamtheater Greatest Hits
超絶技巧といえばこいつも忘れられない。Mr桃色。右手で風を起こすベーシスト。
あああああやっぱり楽器やりたいなぁ。マークキングやマーカスミラーやマイアングみたいに弾きまくりたい。夢が遠すぎますかそうですか。
【なぜ生きるんだ】
坂口安吾もよく読むである。
Links to 坂口安吾
なんだかんだとうつ病やBPDと云うものと関係するようになって6年、どうしても生死や人生というものに対していろいろ考る事もあります。それこそ毛が抜けるほどに。
下手な言葉集の類はチープトリックの実感と絶望を同時に感じさせてくれますが、坂口安吾はすんなり読めます。面白いですね、彼。
4月10日は思い出の日
僕にとって4月10日は思い出の日です。
相当過去の事になってしまいましたが、1992年の4月10日、僕は富山の実家を出て、東京都の荒川区にて一人暮らしを始めました。忘れもしない西日暮里ハイム。駿台御茶ノ水一号館。
予備校に通って東京ライフをエンジョイするつもりが、友達も居らず、ただ一人東京散歩を続けながら毎日をくらしてました。(ヒロポンはその頃一緒に上京してきてたけどね)。
何も解らず新宿を歩き、訳もわからず山手線を一周し、本屋とCD屋をめぐりながら日々を過ごしてました。夜はラジオを聞きながらヤクルトスワローズを応援してたなぁ。あの頃が一番多感だったと思います。
それから早16年。一人暮らし歴も長くなりました。元来ヒモ性分なので、実質一人で暮らしたのは2年ほどなんですけどね。ええ、生活力無いもので。それにしても、えらい早く時間が過ぎたものです。
あの時から一体何が変わったのでしょうか?オデコの広さ?おなかの肉付き?
東京に夢を持って出てきたときの感じを、もう一度思い出したいです。
ただ生活するためだけなら、実家に居ても良かったのだから。何かしたくて出てきたのです。30超えるとやりたかった事も忘れてただ生活に追われてしまってます。これじゃいかん、いかんよ。
焦る34歳。まずはお腹の肉を落とさなければ。毛は、うん、ごめん、もう、仕方ないと思ってる。