ロンドン

 今日からロンドン行ってきます。何があるか全然知りません。ロンドンで思い出すのはロビンマスクぐらいです。ロビンマスク-タワーブリッジ-ロンドン塔-・・・。これだけしか出てきません。まあ、いいか。わはは。
 ゆっくりのんびり、海外で羽根を伸ばしてきます。
 なんか初めて、日記らしいことを書いた気がするなあ。

語りのみ

 ~昨日も飲んだ。そして今日も飲む~

  
 すばらしき名言。僕もこの通りの人生を驀進中です。
 昨日は久しぶりにあった仲間たちとスケート&酒。結局朝の三時頃までぐだぐだしてたな。スケートに関してはまた別項で書くとして(ネタとして取っておくのだ)、酒。そして「語り」。
 酒の呑み方にも何種類かあって、合コンやパーティーなんかの「はしゃぎ飲み(ゲームのみ)」、それに対抗するかのような、少人数での「語り呑み」その他に「兄弟仁義呑み」「口説き飲み」「一人呑み」「橋本聖子飲み」等々(最後のは違うが)、僕は大学時代高田馬場で学びました。

 それぞれの飲み方にやはり特徴と長所、短所があり、それぞれを使分けることが出来ればいいんだけど、人それぞれやはり個性があり、口説きがうまい奴もいれば、場を仕切ってどんな飲み会の席でも「はしゃぎ飲み」にしてしまえる奴もいるし(千代田区民の取締役、君のことだよ)、人それぞれ、持ち味はバラバラなんだよね。これからお酒デビューする人は、持ち味をうまく生かせる飲み方を勉強できればいいなあ、と思います。結局はその場に集まった人同士の個性で决まってしまうものなんだけど、それこそが飲み会の楽しさであり、人同士の核融合から面白い個性を引き出し合うのが最高の飲み会だね。酔っ払ってあっぱっぱになるだけなのは余りよくないよなあ。よくやっちゃうけど…。

 僕自身は一応基礎科目として全て勉強はしておいたんだけれど、中でも「語り呑み」と「兄弟仁義呑み」を専攻していたかな。
 説明するまでもないけど、語りのみっていうのはもっともスタンダードな飲み方で、4~5人の人の輪を作って誰かの話を聞いたり討論したりする飲み方ね。一番危なげない飲み方で、逆に合コンとかにはなかなか向かないんだけど、僕的個性としてはこの飲み方が一番性に会ってるなあ、と思う。おいら、どっちかっていうとはしゃげないしね。自分はタモリかみのもんたになった感じで「それであんた、その娘とはどーなってるの?」「そんな関係になっちゃ駄目でしょ。別れなさいよ。」なんて自分とは関係のないどーでもいいことに首を突っ込んでゴシップを手に入れてる。よう考えるとやな飲み方だな。
 でも、結局人ってやっぱり自分が話の主役になりたかったりするわけで、相手の話を聴いてあげるのが一番うれしかったりするんだよね。こっちが面白い話を作って盛り上げるより、相手の話を引き出そうとした方が喜ばれるし、こっちも気楽で楽しいわけだ。また、お互いの秘密を知り合う事でより親密になれたりするし、相手の語る事実そのものより、語ってる最中の視線の動き方、言葉の抑揚、ジェスチャーを見切って相手の語る事実の裏側へ入り込もうとしたりね。これがまた楽しいんだわ。お互いに酒の飲み方が真剣勝負になってくる。でも仕事で飲んでた時はいつもこんな感じだったなあ。お客さんの動き、話しぶりから本心を探ったりね。友逹との飲み会でもこんな事ばっかりやってると「怖い人」っていうレッテルが貼られちゃうけどね。

 しかし色気はないよな。この飲み方。昨日も結局、見目麗しい、二人の女性と合わせて三人で深夜まで語り合ったんだけど(いいだろ。)、どう話を進めてもおいらは「みのもんた」なんだな。(昨日に関しては口説く対象ではなかったんだけど。失礼)いかに相手の奥深くまでさぐりを入れても「いい友逹」路線をばく進するしかなくなってたりするからねえ。ちょっと男としては悲しいかな。
 というわけで、これからお酒の飲み方を勉強しようとする諸君。こういう風に寂しい事にならないように、科目を専攻するときはきちんと選ぼうね。
 1・はしゃぎ飲み
 2・語り呑み
 3・口説き飲み
 4・一人呑み
 5・兄弟仁義呑み
 まずはこの五つから科目を専攻する事になるかとは思うけれども、1の仕切り役になるには非常に高いエンターテイメント性を必要とします。酒を飲んでいないときから話題の中心になれるよう心がけないといけないですね。もちろん酒の強さも。もしどうしても目指すのであれば、良い先生を紹介します。2を専攻するなら同時に3を専攻しておかないと、僕みたい寂しいことになります。この2つ、似て非なるものだからね。4は勝手にやって下さい。どうも「人との繋がり」がテーマで酒のむもので、一人酒はようやらんのよ。ごめんね。5はちょっと異色な飲み方です。これだけを専攻してしまうと、薔薇色の道が待ってます。必ず2か3を同時専攻しましょう。この飲み方、「おう。」「ああ。」だけでお互い分かった気になって盃を交わす、という見た目には何がなんだかわからない世界が繰り広げられちゃったりするんですね。それはそれでまた楽しいのだが。

RoyalScam

 ようやくこのホームページも軌道に乗り始めてきた。うれしいことです。よいよい。
 暫定的だけど顧客もできてきたし、おいらも文章を書くのにちょっとだけ慣れてきた。中身はともかく、前に比べて書くのは楽になったね。毎日書いてると、やっぱりちょっとずつ書き方も定着してきた。文章以外の内容(画像張り付けとか)はまだできないけどね。
 ただ一つ不安なのは、今はおいらが「暇」だからこんなあほうな事に全力を傾けられるのだが、仕事を始めたり、何かし始めたりしたときにこの調子で進むのだろうか?そんな事考えてるからいまだに暇なのだ。

 そこで今日のお題は「Royal Scam」このホームページのタイトルね。
 このタイトルはいったい何なのか?
 あ、ネタが尽きてきたな、と思った人。正觧だから、黙っているように。
 一応、お便りで来てたのよ。「これは何の意味ですか?」って。
 このページに載っている内容「掲示板」「プロフィール」「日記」…普通の個人ページにある物一色だけだけど、全てなんか変な名前ついてますねえ。これは全部、曲の名前です。はい。全部洋楽。しかも古いの。上からPrince,Steely
Dan,Queen,再度Prince,TOTO,Earth
Wind&Fire,Beatmania2DXの曲、とまあ(一曲だけ違うのあるけど)全て僕の好きな曲の名前を付けちゃったわけですね。もしどこかで聴く機会があれば、是非聴いてみて下さいね。絶対損はさせないから。その内この辺の情報まとめて一つの展示にする予定。
 んでもってページタイトル「Royal Scam」。もうお分かりだよね。最高の二Steely
Danのアルバムタイトル「Royal Scam~幻想の摩天樓」からとった物です。いやはや、単純にそれだけ。好きなのよ。言葉で説明するより、聴いた方が早い。僕の文章ではまだ彼らの魅力は伝えきれない。1976年のアルバムなんで、絶版になってるかと思いきや、再発されているらしいので、レコード屋で見つけたら即買って下さい。絶対だぞ。絶対だぞ。
 ついでにその上の「The Artist Satisfied Users Known-as Unicorn」。これも「これはなんじゃ」「訳わからん」「説明しろ」と、お便りが多いので、一応説明しておきます。しかし何でこんな細かいところまで見てるの?いやだわ。い・け・ず。この意味、大体の人は分かってるよね。まあ、「おっきくいえば、僕の本名」です。ついでにUnicornは奥田民生のバンドとは全然関係なく、僕が在籍していた会社の名前です。「ユニコーン社員として知られた顧客満足のためのモノ作り屋」と訳してくれれば幸い、かな。
 今日はページの秘密について迫りました。以上。

 

心の二日酔い

 う~~~。なんだかなあ。
 いつも駄文を書き連ねているけど、今日はその中でも特に駄文、感情垂れ流しになるので、心して読んで下さいな。いつもの通り、逃げ道はここね。
 いやなことがあった訳ではないんだけれど、如何にも何にもやる気が出てこない。文章書いてても、ゲームしてても、テレビ見てても、とにかく10分と持たない。すぐに厭きてしまう。部屋の中でぼーーっとしているだけ。布団に潜ったり、起上って体操して、ぼーっとしてまた布団に入ったり。昼夜も逆転。歯止めも利かない。きりがない。
 仕事してるときは「何があってもやり遂げなければいけない」ものが期限と予算で縛られた形で存在していて、胸をどきどきさせながらひたすら作業と打合せをこなすことに追われていた。それはそれで、すごく楽しかったし、こんな心境になることはまずなかった。そんな暇ないし。
 思いっきり弦をゆるませたギターみたいな張りの無さ。それならそれで張りを見つければいいんだろうけど、それを見つける気力すら出てこない。なんだか学生時代にもどった感じ。でも学生時代は仕事の快感を知らなかったから、反動でここまで無気力になることはなかったぞ。
 煙草も吸わない。酒も飲まない。じゃあなにをしとるんだ、となってしまうが、ほんと、何もしない。冬眠。心が二日酔いになってる。気持ちわりい。
 二日酔いだから、そのうち直ると思ってほっといてるんだけど、果たして飯が食えなくなるのと直るのと、どっちが早いのか。でも時にはこういった状態になるのも悪くないのかな。この先にあっては困るけどね。二日酔いとのつき合い方を勉強中。
 まあ、こんな事直接書いてもどうしようもないので、これからはもっとユーモアを込めて、楽しい文章を書きます。今日はその気力もないの。ごめんね。

(笑)

………。
……………。
いかん。いかんのだ。どーしても駄目なのだ。
なじめないのだ。あの、「(笑)」って奴に。
それだけじゃない。いろいろバリエーションがあるだろう。(泣)とか(含笑)とか(変)(喜)、すごいのになると(爆)やら(失笑)なんてのもある。全部駄目。痒くなる。爆ってなんやねん。
 おまけに絵文字だ。(^_^;)。あとどーやって書くのかわからんけれどピースしてる奴とか(^_^)V、眠そうな奴とか(~o~)、泣いてる奴とか…(>x<。上手いよなあ、と思う反面、男がこんな事書いてる姿を連想すると、これまた全身痒くなる。
 いかんのだ。頭が古いと言われよーがなんだろーが、括弧や絵文字で感情を表現するというのにむずがゆくなってくる。

 いえ、あの、僕にメールを下さる方で(笑)を使ってらっしゃる方も多数いますけれど、そういった方へ文句を言ってるつもりは全くありません。気分を害された方、ごめんね。一応文句も受け付けます。ここね。単純に自分が馴染んでないだけなので。僕も礼儀として(笑)を使う人には(笑)を使った文章で返してるし。でも、やっぱり肩のあたりが痒くて痒くて。

 メールをはじめとしたネットを使ってのコミュニケーションって、電話のように声の抑揚で感情を伝えることは出来ないし、だからといって手紙よりも100倍お手軽に書いて送るツールだから、それに合わせた日本語の使用方法が誕生してきたとは思うのよ。(笑)も(^_^;)も、その中で登場してきた新しい用語だと思うわけ。特に電話での、話言葉でのコミュニケーションに慣れてから再度文字を使っての手紙型コミュニケーションに立ち戻った、って事で、声の抑揚に匹敵するくらい感情を上手く簡潔に伝える方法として(笑)は登場したんだと思うし、それなりに有効だとは思ってるんだけどね。
 いろいろなページの掲示板とかでも厳しい言葉にかちんときて喧嘩が起こったりしてるけど、そういうのって大体相手のニュアンスが伝わらないがための誤解から生まれてることって多いんだよね。そういった事が起きないためにも(笑)は使うべきなのかなあ…とちょっと譲歩も考える今日この頃。掲示板とかチャットで誤解を招かないためにだらだら長い文章書くわけにも行かないもんね。「厳しいことを言ってるけど、ちょっとした冗談なんだからね。」とか「こんな情けないことしちゃったよ」とかの意味の(笑)って、やっぱりネット上では必要なのかなあ…。

 しかーし、やっぱりどうしてもなじめない。いけないいけない。やだやだ。
 だって、時々チャットとかやって、むさ苦しいおっさん(僕も含めてか?)が(笑)とか(^_^;)なんて言葉使って書いてる文章、許せる?やだよおいら。(笑)だけの問題じゃなくて、そういうものを使うと、自然と文章内容も甘ったるいものになっちゃうし。形が甘くなると、内容はそれに引っ張られるものだからね。理論構築じゃなくって「僕の感情、わかってくれるよね」的な。傷の舐め合いもいいけど、つーか人生にゃ必要だけど、(笑)とか(^_^;)って、使い慣れてくと会話そのものがお互いの礼儀と理性の上に成り立ったコミュニケーション、じゃなくなってくる気がするんだよね。感情優先の会話にね。今現在の文章がそうでなかったとしても、(笑)や(^_^;)が広辞苑に載るくらい浸透すると(多分浸透するぞ。今の勢いだと)、文章自体、というより人間の精神構造自体が理論より感情のすりあわせ優先の甘えん坊になってしまう気がする。やだやだ。単純に生理的に、やだ。やだもーん。
あら、おいらはすでに甘えん坊?

 でも、全てを許しきった、ゆるみきった感情とかは、奧さん旦那さんとか彼氏彼女とか、本当に大事な数少ない友人にだけ見せるもので、あじゃらこじゃらでひけらかすものじゃないんじゃないかなあ。メールとかページとか見てると、どんどん不特定多数に対して感情の緊張感が無くなる方向に進んでる気がするんだよね。その考え方がもう古いのかもなあ。

 あと、言葉の力ってもうちょっとあると思っちゃうんだよね。(笑)に頼る前にもうちょっと言葉を使って感情を伝える努力したいなあって。前にも言ったように掲示板上で誤解を招かないように、相手に上手くニュアンスを伝えるために、文章が長くなっちゃう訳にはいかないけど、(笑)を使う前に言葉を駆使して、努力して良い言葉、簡潔に伝えられる言葉を探してきて、それでも出来なかったら最終手段で(笑)を使う、位の努力をしたほうがいいんじゃないかなあ。最近のページを見ているとどこもかしこも(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)で、ちょっと辟易してるんだよね。「そんなところで使わんだって、ニュアンスはわかるわーい」ってところで使ってあったり。百歩譲って使うのをいいとしても、言葉によって感情を伝える力、そしてそれを汲み取る読解力、を無くして欲しくないなあ、というのが本音かな。
 そういう僕は何者やねん。ただの抜け作です。ええ、はい。偉そうなこと言って、ごめんね。
 ちょっとは現代の流れにそぐうように努力しますです。はい。
 結論として、かわいい女の子は、絵文字使っても何使っても、OK。んでもっておっさんは何使っても、駄目。ということだ。わはは。
 あ、じゃあおいら、明日から何にも書けないや。どうしよう。

わいせつ先生

 最近世の中をお騷がせしていますわいせつ先生。なんかわらわら出て来ちゃったよねえ。中学生にセクハラしたり下着取ったり、なんかうらやましいこと一杯やってるねえ。そんなに世の中ロリコンが多いのか。よーし、おいらも負けずに先生になってやる。

 冗談はさて置き、まったく別の世界のように「わいせつ先生」の記事を読んでいたのだが、あららいました。いましたよ身近に。こんなところに「わいせつ先生」が。

 僕のは富山県立T高校三年生。
 はい、これだけでぴんと来た人、あなたは相当「わいせつ先生」通です。そんなもんなりたくないだろうけど、まずは朝日新聞の12月20日の記事より

 自分が勤務する高校の女子生徒宅に忍び込んで制服などを盗んだとして、富山県警 井波署は20日、同県小矢部市西福町の県立高岡高校教諭、XXXX容疑者(38)を盗みなどの疑いで逮捕したと発表した。XX容疑者は容疑を認め、「この5年間に約30人の女生徒宅などから計約150回盗んだ」と供述しているという。自宅の家宅捜索で制服や下着約300点が見つかったほか、盗品の画像をパソコンに取り込んで管理していたという。調べでは、XX容疑者は19日午前3時ごろ、富山県東礪波郡内の女子生徒宅に侵入、制服や下着など4点(6000円相当)を盗んだ疑い。被害者宅近くにXX容疑者の乗用車が放置されていたことなどから、事情を聴いたところ、犯行を認めたという。XX容疑者は英語の担当で、3年生のクラスを担任。独身で、両親と同居している。調べに対し、前任校に勤務していた1994年夏ごろから、気に入った教え子の女生徒の住所を名簿で調べ、犯行を重ねていたと供述。繰り返し侵入していた生徒宅もあったという。

 わははははは。こんなところでわいせつ先生とのコネクションがあるとは。本名まで新聞載っちゃったよ。とりあえずそのまま抜粋です。新聞に載ってない様々な襞を弟から聞かせてもらったよ。
 残念ながら(?)弟の担任ではなかったということなのだが、三年間英語を教えてもらっていたとのこと。しかも面白いのが、この高校の三年生、全国的に英語の点数がトップクラスだったらしいんよ(うちの弟はどうか知らんが)。その上、この先生、週に一回はこの「秘め事」やってたみたいだけど、その時間帯はほぼ午前2時~3時。でもこの先生、毎朝八時にはきっちり登校してたらしい。さすが、趣味を真剣にやる人は仕事もきっちりこなすんだなあ、と、別の意味で感動。
 しかも、発覚した日が進学面談の日だったらしいではないか。校長先生まで総出で平謝りだったらしいよ。
 94年頃から30人を150点…、ちょっと計算しました。一年につき六人のターゲットを决め、各人から五点ずつという計算になります。手当たり次第ではなくて、きちんとターゲットを絞ってるところがまた人間くさいというか、すごいというか…。犯罪行為を楽しんでたのではなくて、ちゃんとポリシーもって趣味の下着ドロをやってたんだということを実感。しかも下着をスキャニングしてデータ保存してるぞ。熱の入れ方が半端じゃないなあ。別の方向にその力を生かせばなかなかすごいことが出来ただろうにねえ。
 思わず、弟の高校の文集から、先生の顔や同級生の顔、見ちゃったよ。ごめんなさい。
 しかし、下着盜んで何が楽しいのだろうか。それだけの根性があるんなら、もっと大胆にわいせつしなさい!
 …ごめん。方向を全然間違えました。こんな事、やってはいけません。
 でも、趣味に熱を入れることは、仕事にも力が入るのだということを改めて思いました。です。
注-記載当時は容疑者名も実名で記載していました。まだインターネットも発達しておらず、「忘れ去られる権利」等も話し合われておりませんでした。決して犯罪を助長するつもりはありませんが、だからといって本ブログが本容疑者を無期限に記録し続けて、エゴサーチで常に名前が出てくるようにする必要性もないと思い、改めて本名記載を削除いたしました。(2014.12.31)

書くこととモニター

 ここんところ、日記を書き始めてからというもの、毎日のようにパソコンモニターに向かって文章を考えているのだが、どうも、なんか、考え方が、変だ。前のめりの思考方法というのか、元来せっかちなのが、更に暴走した考え方をするようになっている。もっというなら思いついたことをそのままキーボードで打ち込んでるだけの、思考というより気付いたこと垂れ流し状態だ。
 なんの違いだろ。やっぱり、モニターかなあ。今まで、ずっと紙と鉛筆でものを考えていたけれど、そのときはこんな事無かったもんなあ。企画書作るときも紙で書いてから清書だけパソコン使ってたし。もともとモニターに向かってものを考える、なんて事に僕は慣れてないのだ。脳みそ、完全にアナログだし。ローテク野郎。そのせいにする訳じゃないけど、うーん、紙上で思考するのとモニター上で思考するのはやっぱり根本的に違うみたい。

 紙の場合、頭で考えて、全体のバランスを考えて、ゆっくり推敲して練り上げて、それから筆を落とす。いや、そこまで高尚なもんじゃないけど、まず、考えてから書くでしょ。いや、当り前や、なんて言わんといて。でも、そうでしょ。考えてから、書く。ちょっとややこしい文章になると紙の空いてる隙間とか端っこに自分なりの思考フローチャート(落書にしか見えんが)をちょこちょこ書いてそれから文章を作る、なんてこともやったりしない?いや、やっている。これを読んでるあなたも絶対やっている。だっていい加減に書いてから消しゴムかけたり赤で修正入れたりするのめんどくさいんだもん。人に見せる書類なんかなおさらだ。ちょっと間違えれば、はいもう一度。ふりだしに戻る。そんな緊張感の中で書くわけだから、自ずと文章への考慮が深遠になるでしょ。深遠というほどか?

 おまけに自分の字をちょっとでも奇麗に書こうとすると、なおさら緊張感は高まり、漢字なんかも辞書を引き引き、何かもう、頭脳活動の全てを目の前の文章に注ぎ込むようなやり方を取らざるを得なかったわけよ。
 それに対してモニター上では、「ああああああああ」なんて叫びながら思いついたまんまをだららららと書き連ねて、書いた後で文章を移動させたり追加、削除を繰り返して五度六度読み直して、更に文章をいじくり回して(推敲ではない)
完成、っちゅう手順になるわけだ。字の汚さを心配することもないしね。どっちかっていうと紙上では思考を練り上げてから書き始め、モニター上では書き上げたものから目で確認しつつ仕上げを行っていく、って感じだよね。

 僕はどっちかというと紙に慣れてたから、考えてから書く、ってのは自然だと感じていたんだよね。でも、自然とは言っても書く前に考えることは多いから、書こうとするとき腰が重くなっちゃってね。だから文章を書くときに熟考しなくても後からで何とかなる、漢字も調べなくってまあまあよし(本当はいけないけどね)、なにより字が汚くならないってことで、ワープロとかパソコンが登場したときには「いよっ。待ってました!」てなもんで諸手をあげて喜んでたんだけど、そのうちに立場が変わって来ちゃった。特に最近、モニターを使って文章を作るうち、文章そのものに対して愛着が無くなってきちゃったのよ。あらら倦怠期。というかモニターで文章構成作ってると、熟考しないまんまでもそれなりに文章ができちゃってるのだ(字も奇麗だしね)。その事が、いいかげんなまんま提出するような事になったりとか、頭を使わず文章書いて、仕上げの段階もBGMかけたままふんふんふーんてなもんで仕上げたりするとか、とにかく「簡単にかける」ことが逆にいいかげんな文章を書かせちゃってる気がしてきたのだ。更に、手書きだと「見紛うことなき僕の字」というか世界で一つの「俺フォント」になって他の人との差異効果(単に汚いだけだが)があるけれど、モニター上だとみんな一緒になっちゃうし。ここでまた愛情減点。すなわち思考力も減点。
 てなわけで、たまには手でカこうかと思い始めました。少なくとも下書きは。まる。
 単に言いたかったのはこれだけ。
 やっぱ道具を使うのは邪道でしょう。まずは右手から。あれ?

刺身

はい。刺し身です。ええ、刺し身。頭から離れん。
 どうも最近暇になりすぎてきたからか、感覚が麻痺している気がしてならん。突然「刺し身」といわれて至極困惑悩まれている読者もいるかと思うが、え?いない?ああそうか。それならばそれでよし。
 魚の夢を見た。
 窓の外に赤白緑とめるへんちっくな似合わない魚が泳いでいた。
 一匹が僕に襲いかかってきて僕を食べた。
 体の中は刺身だった。僕も刺身だった。
 赤いのだ。僕も、魚の躰内も。
 どうも、なんか、胃袋よりも、腟の中にいるような。
って魚に腟があるかいな。
 まあ、それはいいとして、溶けるようにして、起きた。どろどろ。
 
 刺身食いたい。
 夢判断何かよりも、即物的な発想しかしなくなった。
 その割には、最近、なんか冴えてる。
 人の動きが、多少、読める。気がする。
 ええ、ごめん、僕も最近、変なんです。

ティッシュ

 ティッシュが切れた。
 男の生活必需品。闘いの後の黄昏。嗚呼、ティッシュ。どこへ行ったんだOh my ティッシュ。
 ティッシュなんてものは湯水のごとく使うべし。男だったらけちけちするな。なんて生活を送ってきたおいらは、今までがしがしティッシュを使ってきた。当然のごとく買い込んであるティッシュもどんどん消費されていった。今までは一人前の社会人として生活用品はある程度買い込んでいたが、今は一人前じゃないので生活用品を買う余裕がない。故にティッシュがすぐ切れた。あきゃあ。困った。
 外に行けばどこでももらえる。と思うのは大きな間違い。だって外に出ないんだもん。外に出られるだけの身なりが出来るようであれば、それはきちんとした人生を歩んでいる人なのだ。おいら、そんな身なりすらないし。
 あると思うな、思えば負けよ。なんて言葉も脳裏に響いてきたが、あると思う以前に、単純に無くったって負けなのだ。いや、人として。
 たとえば牛乳をこぼしたとしよう。今までは「おおっと。やっちまったぜ」なんて言いながら、ベットの脇にあるティッシュ箱をかっこよく取り上げ、「ぴっ」とティッシュを抜き取って「さっ」と拭きとっていたが、そんな事もできなくなった。こぼしたとたん「あわわ。タオルどこだ。タオル」なんて慌てふためき、洗濯してあるタオルをさがして押し入れを掻き回した揚げ句見つからず、仕方ないのでそこらにあるタオルで拭いたらこれがまたバスタオルで、翌日風呂にはいるときにはえらく臭いバスタオルを使わざるを得なくなってしまったりして、ぐちゃぐちゃになった押し入れを見ながらバスタオルを洗って今日一日をよどんだ気持ちで生活しなければならなくなったりするのだ。やはり負けである。人として。たかが牛乳だけでこんなもんだ。後のことは推して知るべし。
 トイレットペーパーがあればまだいいんだけどねえ・・・。
 あ、でもだめだ。トイレットペーパーって、痛いじゃん。特に安物は。ねえ、男性諸君?拭いたら溶けてくっつくし。これを剥がすときはまた快感。じゃなかった人として完全敗北、人生一回裏コールドゲーム。背中に郷愁を感じさせてしまう。
 何書いてんだおいら。書いてる内容すらみみっちくなってきた。とにかく、最近、人生負けてます。だめだ。はぁ。