書くこととモニター

 ここんところ、日記を書き始めてからというもの、毎日のようにパソコンモニターに向かって文章を考えているのだが、どうも、なんか、考え方が、変だ。前のめりの思考方法というのか、元来せっかちなのが、更に暴走した考え方をするようになっている。もっというなら思いついたことをそのままキーボードで打ち込んでるだけの、思考というより気付いたこと垂れ流し状態だ。
 なんの違いだろ。やっぱり、モニターかなあ。今まで、ずっと紙と鉛筆でものを考えていたけれど、そのときはこんな事無かったもんなあ。企画書作るときも紙で書いてから清書だけパソコン使ってたし。もともとモニターに向かってものを考える、なんて事に僕は慣れてないのだ。脳みそ、完全にアナログだし。ローテク野郎。そのせいにする訳じゃないけど、うーん、紙上で思考するのとモニター上で思考するのはやっぱり根本的に違うみたい。

 紙の場合、頭で考えて、全体のバランスを考えて、ゆっくり推敲して練り上げて、それから筆を落とす。いや、そこまで高尚なもんじゃないけど、まず、考えてから書くでしょ。いや、当り前や、なんて言わんといて。でも、そうでしょ。考えてから、書く。ちょっとややこしい文章になると紙の空いてる隙間とか端っこに自分なりの思考フローチャート(落書にしか見えんが)をちょこちょこ書いてそれから文章を作る、なんてこともやったりしない?いや、やっている。これを読んでるあなたも絶対やっている。だっていい加減に書いてから消しゴムかけたり赤で修正入れたりするのめんどくさいんだもん。人に見せる書類なんかなおさらだ。ちょっと間違えれば、はいもう一度。ふりだしに戻る。そんな緊張感の中で書くわけだから、自ずと文章への考慮が深遠になるでしょ。深遠というほどか?

 おまけに自分の字をちょっとでも奇麗に書こうとすると、なおさら緊張感は高まり、漢字なんかも辞書を引き引き、何かもう、頭脳活動の全てを目の前の文章に注ぎ込むようなやり方を取らざるを得なかったわけよ。
 それに対してモニター上では、「ああああああああ」なんて叫びながら思いついたまんまをだららららと書き連ねて、書いた後で文章を移動させたり追加、削除を繰り返して五度六度読み直して、更に文章をいじくり回して(推敲ではない)
完成、っちゅう手順になるわけだ。字の汚さを心配することもないしね。どっちかっていうと紙上では思考を練り上げてから書き始め、モニター上では書き上げたものから目で確認しつつ仕上げを行っていく、って感じだよね。

 僕はどっちかというと紙に慣れてたから、考えてから書く、ってのは自然だと感じていたんだよね。でも、自然とは言っても書く前に考えることは多いから、書こうとするとき腰が重くなっちゃってね。だから文章を書くときに熟考しなくても後からで何とかなる、漢字も調べなくってまあまあよし(本当はいけないけどね)、なにより字が汚くならないってことで、ワープロとかパソコンが登場したときには「いよっ。待ってました!」てなもんで諸手をあげて喜んでたんだけど、そのうちに立場が変わって来ちゃった。特に最近、モニターを使って文章を作るうち、文章そのものに対して愛着が無くなってきちゃったのよ。あらら倦怠期。というかモニターで文章構成作ってると、熟考しないまんまでもそれなりに文章ができちゃってるのだ(字も奇麗だしね)。その事が、いいかげんなまんま提出するような事になったりとか、頭を使わず文章書いて、仕上げの段階もBGMかけたままふんふんふーんてなもんで仕上げたりするとか、とにかく「簡単にかける」ことが逆にいいかげんな文章を書かせちゃってる気がしてきたのだ。更に、手書きだと「見紛うことなき僕の字」というか世界で一つの「俺フォント」になって他の人との差異効果(単に汚いだけだが)があるけれど、モニター上だとみんな一緒になっちゃうし。ここでまた愛情減点。すなわち思考力も減点。
 てなわけで、たまには手でカこうかと思い始めました。少なくとも下書きは。まる。
 単に言いたかったのはこれだけ。
 やっぱ道具を使うのは邪道でしょう。まずは右手から。あれ?

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