婚礼の厳しさ

 婚礼に携わる、と言うのは大変な事だね。


 婚礼の厳しさ、と言うのかな。一生に一度の、大事なイベントに関わる仕事をやっているのだから、それなりの気持ちを持って事に当たらないといけない。どうにも僕はその辺がへらへらぼっちゃんしているみたいだけど(社長談)。まぁ、へらへらぼっちゃんなのは生まれつきだ。変われと言われても、困るしかない。

 別にこれは、婚礼に関係無く、仕事全てにおいて厳しいのは当然だ。婚礼だけがことさらに厳しいわけじゃない。まぁ、お金で解決できないイベントに関わっているという意味では、そら恐ろしい世界だろうけどね。でも、それは祭りでも、パソコンスクールの生徒さんたちへの対応でも、学習塾の教師でも、みんな一緒だ。BtoBは、ちょっと楽だったかな。契約書の世界だからね。


 悔しいのは、20代でやってきた仕事の感覚を、どこかに置き忘れている事だ。正直、かなりタフな世界でやってきたと思っている(そう思わないとやってられないと言う側面が大きいのだが)。僕が新卒で入った会社、ユニコーンは(どんな会社であったとしても)やはり心の職場だし、そこで培った経験値は、今でも大事な宝物だ。それが今この職場で通用しないとは思えないが、充分に発揮できていない自分もまた居る。何より、その経験値を発揮できない事で自分自身ではなく、ユニコーンやゼロ会(もちろん今居る会社も含め)そのやり方や経験値を否定されること、泥を塗ることになるのが非常に気に入らない。


 別にあんたはあんた、会社とは結局関係ないのだから、いいじゃない、と言われそうだが、そうはいかない。古い発想なんだろうけど、僕は今でも個人主義な考え方は好きになれないのよね。何と言うか、家族、一族、会社や仲間、ファミリーと言う位置付けが自分個人より重要だと思ってしまうし、かみさんや一緒に仕事をした仲間、社長、親兄弟や40期etc.etc.の存在が自分である、彼らが居るから(彼らとの距離感によって)自分は存在する、と言う変な感覚があるのよね。ヒトの間と書いて人間であーる、と言う感覚。余計訳わからないか。おやくざさん的には「代紋を守る」と言うのかな。自分よりも大事なものがその外側にあっても良いのではないかと考えてしまいます(これって恐ろしくバイタリティと器用さを求められる事なんだけどね)。例え自分の仲間が間違っていたとしても、対外的には仲間をかばいたい。理屈や常識より、そばに居る人間を正しいとする(ただ自分のそばに居るという理由だけで)。そういうスタンスでやってきたし、これからもやっていきたい。そうあれば、婚礼とは言っても怖くないと思います。愛です。愛。
 

んまぁ、僕は「もっと自分を大事にしたほうが良い」とかみさん他には言われてしまいますが。その辺はバランス取っていきます。自己責任だけは、理解してますよ。


 うーむ。何がなんだかわからなくなってきた。今日はとりあえず、この辺で。