新宿

新宿
 僕が富山から上京してきたのは1992年。今から丁度20年前だ。
 この間、ほんの少し地元に戻っていた事はあるけれど、概ね東京か、その近隣で生きてきた。
 いろいろなところに住処を構えた。荒川区西日暮里、今は無き保谷市柳沢(現・西東京市)、文京区目白台、千葉県市川市。
 上京した当時、東京を象徴する都市は「新宿」だった。僕にとっては新宿を自由に活動できることが東京人としての粋なんだと思っていた。
 当時の新宿はまだ副都心も出来ておらず、まだまだこれから発展する気概に溢れ、またバブルが終わる寸前でもあったため(経済学的には終わってたらしいが、まだまだ浮かれていたように思う)、おどろおどろしいほどに華やかできらびやかだった。狂乱の宴ここで行われり。五木寛之の「青春の門」や筒井康隆の東京論、ゴールデン街での乱痴気話に憧れた身、北陸の奥田舎・富山から出てきた若造にとっては、これ以上の刺激的世界は考えられなかった。
(とはいっても、軟弱な若者が行ける新宿なんてゲームセンターやマクドナルド、新宿書店くらいしかなかったんだけどさ)
 大学時代は池袋から新宿がホームエリアだった。デートの待ち合わせはいつも高田馬場駅前ビッグボックスだった。新大久保で深夜の飲食店バイトにも精を出した。煙草臭い新宿の雀荘で寝泊りしたこともある。ギラついてネトついた僕らのバイタリティは新宿近辺が大体発散させてくれた。渋谷や六本木は、どちらかといえばライバル大学のホームタウンだったので、なんとなく敬遠していた。勝手に僕らがそう思ってただけだが。
 でも、代々木を越えるとケバだたしさが明らかに薄れていた。六本木・渋谷は、成熟した大人か、または高校生や中学生の街、僕らバイタリティだけの塊である大学生にとっては似つかわしくない街だった。当時はまだITという言葉も無く、渋谷が急成長して今の姿になるよりずっと前だった。マークシティは影も無く、渋谷パンテオンがランドマークだった。
 こう書くと「山本さんは昭和初期の人間だから」と言うヤカラが必ず居るので、何度も言うが僕は90年代以降の東京しか知らん。東急にロープウェイが通ってたのとか見たこと無いから。安田講堂事件とか三島割腹とか生まれてないから。知らんからね。
 話を戻して。
 先日、そんな新宿に久々に出かけてきました。
 今も変わらず新宿の街はケバだってると感じることはあるけれど、ある意味、落ち着いた、と思いました。90年代初頭に感じた新宿の勢いは、その後渋谷に行き、秋葉原に行き、今は墨田・・・に行くのかな。勢いは移ろいで行くものと思いますが、とうの昔に嵐が過ぎ去った街。そして静かに、でも個性溢れる豊穣な街。新宿は、過去に栄華を誇った街のたたずまいを、節度をもって守っている街、と感じます。
 写真は、夕暮れとスタジオアルタ。
 アルタといえば待ち合わせ。新宿東口は90年代の上京モノにとってのランドマークでした。スノッブで悪かったな。田舎モノと言いたければ言え。
 立ち並ぶものはそれほど変わってませんが、それでも、空気はやはり違いました。あの時には感じられなかった、清涼な風が新宿に流れてました。うん、もっとギトギトギラギラした油臭い新宿は、もうないのですね。
 
・・・あれ、それだけじゃないや。MyCityってもう無いんだっけ。掲示板にXYZとか書いてない?ヴァージンメガストアもないんだっけ。

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