今日で18年目

 東京に上京してきて、今年で18年目。
 そうなんだよなぁ。気がつけば人生の丁度半分。途中実家に戻ってた時期が2年ほどあるので、実質は富山暮らしの方が長いんだけど、それは微々たる物。18歳まで地元・富山で暮らし、19歳から今まで、僕は東京で暮らしてきました。
 上京したのが1992年4月10日。まさに今日、この日でした。
 当時住んでたのは荒川区西日暮里。学生寮で一年を過ごし、その後西武新宿線西武柳沢駅、今は無き保谷市(現・西東京市)にて2年を過ごしました。
 その後は転がるように文京区目白台で6年、ちょっと実家に帰って、その後は今の住まい、市川市にて8年を暮らしてます。
 まあなんというか、地味な場所を転々として居りますが、それぞれ、いい場所ばかりでした。
 そんなぼんやりした回顧をしても仕方なく、特に今日は西日暮里の学生寮での話に焦点を当てます。
 僕が住んでいたのは当時の駿台予備校の男子寮でした。西日暮里から御茶ノ水の校舎まで電車で三駅。良い立地で、学びやすい場所でした。未だにお茶の水に縁があるなんて、当時は思っても居ませんでしたが。
 まあ、それはそれとして、当時覚えていることがひとつ。
 それは、「群集には無言の秩序が生まれる」ということ。
 予備校寮。当然ながら、18,19歳の多感な若者が地方から大挙して押し寄せてくるわけです。
 それぞれに思いを秘めて、コミュニケーションを取る訳でもなく、お互いに大学受験をがんばるわけです。
 そうした、様々な若者が集まる場所には、ある一定のルールが自然と生まれるのです。
 いや、自ら、誰に何を言われたわけでもなく「あ、ここにはこういうルールがある」と遺伝子レベルで感じ取った秩序があったのです。それを感じたときは、「社会ってこうやって成り立ってるんだ」と新鮮な驚きがありました。
 もちろん寮なので、明文化された門限やハウスルールが存在するのですが、それとは別に。
 寮長も指導しない、誰が決めたわけでもない、無言のルール。
 「ゴミ捨て場において、大人的な肌色の多い本を一冊献本したら別のものを持っていってよし。」
 ほら、もう、18歳の男子しか居ないわけですから、夜なんかはもうみんな大変なわけですよ。お互いに自分の欲望と葛藤しながら日々をすごしているわけです。更には予備校生でお金も無いですし、女の子にちょっかいをかけるわけにも行かないですから、みんな悶々とするわけです。
 更に当時は携帯電話やPCがあるわけでもなく、更にはテレビも持ち込み禁止だったので、結論とすると、いわゆる本、いわゆる肌色の写真にはとてもお世話になるわけです。
 必然的に、ゴミ捨て場にはそれぞれの使用既読本が捨てられるのですが、まあ、その、なんだ。お互いに需要と供給があり、それぞれにニーズがあったりするわけですよ。
 新聞や本は縛って捨てる、という明文化されたハウスルールはあったのですが、いわゆるこの手の本だけはゴミ捨て場の片隅にそれぞれ「デラ●っぴんの棚」「ベスト●デオの棚」「●ンギンクラブの棚」と分別され、各号がそれぞれに、縛られずに整理整頓されて置かれていたのです。
 当然、捨てられているものですから、どのように扱ってもいいはずなのですが、誰に言われたわけでもなく、この寮の住民はみな、「一冊置いたら、一冊もっていく」というルールを自然と身につけていたのです。社会の秩序や法律とはこうやって生まれるということをこのときに僕は実感しました。あと、お互いのマナーとして、綺麗に使う読む。というルールも不文律としてありました。当たり前ですね。
 そんなこんなで上京18年目。真っ先に思い出すことがこの話だというのがあまりにも情けないですが、これからもよろしくです。

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