偏狭読書情報です。

今月も偏狭読書情報、行きます。
【われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る】
米長邦雄御大は何をしても何を言っても許されるのである。なぜなら、米長邦雄だから。いわば筒井康隆御大と同じ立ち居地に居ます。
【以下引用】
 しかし、妻の答えは驚くべきものでした。
「あなたは勝てません」
 このように断言されてしまうと、私もどこにいたらなさがあるのか、気になります。当然、「なぜ勝てないんだ」と問い返します。すると妻は「あなたは全盛期に比べて、欠けているものがある」というんですね。
(中略)すると、妻は「全盛期のあなたと今のあなたには、決定的な違いがあるんです。あなたはいま、若い愛人がいないはずです。それでは勝負に勝てません」といったのです。

【映像の修辞学 (ちくま学芸文庫)】
ようやく構造主義の理解がロランバルトまでたどり着いた(バルトというか蓮見重彦。なぜこの人はこんなに文章が特徴的なのだろう)。時間軸でありながらテクストと連携したり、排除したりを選択できるメディア「映像」。「テクストの快楽」では記号の再分配が示されていたけど、映像では記号の成立から構築しなおさなければならない(それは即ち色彩、構図、シニフィエなど)。その意味では少し入門書的なところで収まってしまった気がします(文庫にする必要もなかったのでは…)。
ハイパーテクストの誕生を予感していたバルトにとって、映像の「ハイパーテクスト」化は見えているのだろうか。そしてそれは可能なのだろうか。次のメディアのヒントはここにある気がします。

【読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門】
この手の本はあまり読まないのだが、先日実家に戻ったときに父から「新幹線の中、これ読んでいけ。すぐ読み終わるから」と父がマーカーを引いたこの本を渡される。
理解するべきは「知を積み重ねている人は強い」の一点。強くなるため、えらくなるため、儲けるために知を積み重ねるわけではないのだけど、功利主義的に高みに上ろうとしている人と、元から情熱と能力がある人の二種類と対等に渡り合うためには、ある種の仕組み化と基礎能力訓練が必要だと言う事。今からでも遅くない。そしてやればやるだけ、楽しいのだ。

【江戸・東京 歴史の散歩道―江戸の名残と情緒の探訪〈2〉千代田区・新宿区・文京区 (江戸・東京文庫)】
学生時代に文京に五年住んでいたが(五年しか居なかったのか。二十年ちかく住んでいた感がある。学生時代は濃いのだな)まあ知らない事ばかり。千代田に本社がある企業にも八年勤め、いろいろと考える事がある。あ、今の会社も千代田区か。
僕にとって東京とは、この一帯でほとんどの思いを占める。まあ、楽しみとしてゆっくり眺めています。

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