優雅とお金と人間と

「好きなことをして儲かる」から嬉しいんじゃないんだ。

楽して稼いだり、老後の蓄えを作ったり、本当に興味がないんだ。

もっと極端にいえば、お金は嫌いなのだ。

ただ「お金が嫌い」と言うと、「じゃあ下さい」とか「貰ってあげよう」とか「お金なしでも働け」と言われるから、僕は口を閉じるのだ。

その!

人間という愉快な存在が!

お金という欲で醜く変容する姿を見たくないから、お金が嫌いなのだ。

僕がこの仕事をやっていて、しかも沢山報酬をもらっているのには訳がある。

「好きなことを表現できる」こと自体が嬉しいからなんだ。

更に、自分が表現したものに対して、みんなが大好きな「お金」と言う対価を差し出してくれることが嬉しいんだ。

一所懸命に「僕が表現するものに対して」方々に頭を下げたり稟議を通したり交渉したりを繰り返して「これだけ用意しました!」と言ってくださる方の心意気と覚悟に対して仕事をするのだ。

不遜かな。僕はそうは思わない。

これは、クライアントに対する「誠意」の形の一つなのだ。

故に、(簡単な話にすると)資本金10億の大企業が「ほれ」と差し出す1000万の案件は食指が動かない。

個人で頑張って、自身が赤字になってでも用意してくれた10万円のために頑張る。

もちろん、自分の手元に利益を確保しながら「少額だけどなんとか!」なんて言う輩は論外だ。ビジネスのためでなく、身銭を切る方のために協力したいのだ。

その上で、その覚悟のまま、大きなお金が動く表現者たり得る様行動しているのだ。

極論、僕は(失礼でなければ、法律違反でなければ)差し出された報酬をその場で焼き尽くしてみたいのだ。

それは「報酬が要らない」のとは訳が違う。

儲かりたい訳じゃ無い。

でも、安くは引き受けない。

これが理由です。

ただ、税金分と、僕が優雅に暮らす分くらいは頂くよ。優雅は大事なモチーフなのだから。

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