守れ生活者

 あー、もう、何だかな。



 言葉を巧く紡げない、しかも頭の悪い僕には、人の言葉を転用するしか想いを伝えることが出来ないわけで・・・くそ、本当にイライラする。



 無断リンク、しちゃいます。ごめんなさい。


 これまで幾度となく無断でリンクしてるんですが、今回ばかりは謝ってリンクします。なにせ、長年敬愛する人なんですから・・・だったら報告しろってね。



 Links to Deep Rain



 大学時代からの僕の憧れのおカタのページです。・・・まあそんな事はどうでも良くて。つうか見ず知らずの人でもリンクしてるだろうな。いや、知ってるからリンクするのを躊躇っちゃったんですよね。本来ならずっと前から紹介したかった。是非この人の文章を感じてほしかった。ああ今回はもう我慢できません。ああそうそう、僕のかみさんとも仲良しなこのお方へ、かみさんが「筆不精でごめんなさい」だそうです(私信)。←読んでへんってば。でもいいの。



 思うことは二つ。



 一つ目は、堂々と自分の言葉を吐いている事。自分が想ったことを、ただありのままに他人へ伝える。それだけのことが出来ないサイトが如何に多いことか。彼女の文章に羞恥心や打算や虚栄心が混じっているように見えますか? 少しでも卑屈な態度が見えますか? 言いたい事を言う。経済の枠からはみ出たサイトと言う表現の中ですら、この堂々とした文体はどれだけ輝いていることか。常々僕がココで言っている通り、想いとエネルギー(そんなに大げさじゃないが)を大放出してこそ、生きている意味だと言うのに。彼女の堂々として且つユーモアのある文体に、心の底から敬意を感じます。



 そして生き様の潔いこと。それを中心に全てが構築されている考え方への共感。



 政治論についてはいろいろあるでしょう。僕は・・・あまり政治については詳しくない。お恥ずかしながら。常識知らずなんです。ごめん。けど、それでも日本や政治について語る場に着いたときは、僕は自分の理想とする生き方、活動の仕方と照らし合わせてみます。そして、その中から、歴史や政治に対するスタンスを決めてます。まあ、誰でもそうか。


 で、自分のありたい姿を基に日本を考えたとき・・・僕は彼女の言っている事をとても心地よく感じます。自分の言葉で伝えられない自分に恥じ入りながらね。




 僕は若い頃、侍・山本常長を生き方の規範としていたことがあります。(どこが!って突っ込むの無しね)



 そーです。あの「葉隠」に影響された青臭い餓鬼だったんです。



 確かにそのままの葉隠は、貫き通すには難しいところもあるよ。いろいろ経験した後で考えると、無茶だろこりゃ、と想うことも多いしさ。まだまだ世の中知らない若造が葉隠読んだって・・・ププー、なんて思うところもあるしね。でも、今この年になって改めて読んでみても、理想であり憧れであり、自分にとっての規範の一つではあるんだよな。激烈なまでに、死に物狂いで、理屈を超えて一本の筋を通す。その香り立つ程の清潔感たるや!!



 自分の信じたもののために、信じたものを守り抜くために、その為に全エネルギーを燃焼させる、その為にこそ生きている、って言うのは、僕にとって最高に理想の生き方なんだよね。



 今の僕にとっては守り抜くものが家内であり家族であり、その為としての会社であったり、日本であったりするわけで。



 やっぱり、日本に生まれたこの身は、日本の魂と日本の歴史を背負っているし、何よりもまず、日本に対して潔くありたい、と思う。「日本」という括りは、僕の大事なものを育んでくれた要素の大きな一部であるしね。



 僕どっかおかしいでしょうか?



 いや、そう思うことぐらい、普通だと思うんだけどなぁ・・・。いいさ、右って言いたきゃ言えよ。どう思われようがこりゃ変わんねえんだから。



 そのスタンスで彼女の文章を見たときに、僕はすごく心の好く思いがしました。「守るものを守れ」と壊れた蓄音機みたいな脳みそしかないの僕の書くものと違って、ユーモアを含めて理路整然と自分の想いを他人に伝えることの出来る文章に。羨望と、またその考え方の方向性に対する共感を込めて。

 特に。北朝鮮の問題にしても天皇の事にしても、理屈や云々ではなくて最前線にいる人、ケツをまくる事の許されない人、彼らの信念に敬意を払う、その一点で僕は最高の共感を感じます。それこそが優しさであり、それを伝えることが本当の教育(知識や理屈ではなく、生き方として)、だと思うよね。




 潔くあるためには、何が大事で大事じゃないのか。あるものはある。無いものは無い。白黒をつけて堂々と振舞うエネルギーが要る。果たして僕にそのエネルギーが残っているのか。



 エネルギーが足りないのか、僕は潔くなり得ていない。だから、僕は今でも守るべきものを守り通せてない。それに対するイライラをあーまた感じてしまう。むー。自棄酒。理想と現実の乖離。日常レベルでの日本論。困窮や外敵から家族を守る事に全霊を傾ける僕はサムライ。帝国軍人。そうありたいのに身体がついていかない。守り通せない。ああムカムカ。頭が悪いことに対する苛立ちはもう全く無いのだけれど。




 うーむ、知識無いからあっさり終わるつもりだったのに、言いたい事が沢山出てきたぞ。つうか日本に対して想うことって、自分に対しての苛立ちと同一のものなのか、妙にシンクロして、やなんだよね。


エフゼロやりたい

 何気にレースゲームが大好きです。


 なんででしょ。別に車マニアでは全く無いし、スピード狂でもなければ車メンテマニアでも有りません。初めて買った車がサイノスという時点で如何に車に興味が無いか分かると思います。僕好きなんだけどなぁサイノス。かみさん許してくれないんだよなぁ。実際の車を走らせればそれはもう阿鼻叫喚の地獄絵図なんですが、ゲームの中ではとってもスムーズに車を走らせ、意気揚揚とタイムアタックをこなします。

 これまでにF-Zero、デイトナUSA、リッジ、レイヴと様々レースゲームをこなしてきました。何か、こう、盛り上がるんですよ。


 で、


 ここ4年ほど、名作と呼ばれつづけてるレースゲームがありますよね。


 そう、かの、グランツーリスモ


 1,2,3と続編を重ね、様々なレースゲームマニアに好評を得ているこのゲーム。当然、僕としても、一レースゲームマニアとして週100時間プレイレベルでこなしていないといけない訳なんですよね。そりゃもう、タイムアタックばりばりですよ。

 

 



 と、言いたいところなんですが、



 ごめんなさい、このグランツーリスモ。僕はプレイした事が無いんです。



 プレイした事が無いだけでなく、これから将来もまず、プレイする事が無いでしょう。その、なんていうんですか、ほんのちょっとした事なんです。このゲーム、僕はどうしても許せなくって、どうしてもプレイする気になれないんです。


 いや、わかる。わかってる。非の打ち所の無い、今までのレースゲームとは比較にならないほどすごいレースゲームだ、このゲームに限って許せないところなんてあるはずが無い、そうおっしゃりたい方がいるのも分かります。F-Zeroがプレイできて、リッジを楽しむことが出来て、グラツーを楽しむ事が出来ない、そんな訳が有るはずが無い。食わず嫌いもいいかげんにしろ。ぼけはげ早漏。お前のかぁちゃんでべそ。それが一般的なご意見でしょう。ええ、全くもってよくわかります。なんだとコノヤロウ。


 しかし、どうしても駄目なんです。許せないんです。


 何がって。






 グランツーリス







 名前の「モ」が間抜けなのが許せないんです。



今日は真面目モードです。

 今日はちょっとまじめモードです。ぼけはげ言ってる僕と違います。


 今日ネットを見てて、こんな記事を見つけました。




 10代の禁欲増える-新たな性革命と米誌





 あほか、と。




 わたしゃこの記事を見て唖然としました。ええ、真面目ですよ。僕はいたって。


 性行為を控える傾向が強まる、と。ええ、そりゃそういうカップルが居ても良いでしょう。それは全然問題ないと思います。ですが、全体としてそういう傾向にあると言うのはどういう事か。これは国家の一大事だと思うんですが、ブッシュ君、如何か。


 確かにエイズ問題、社会風土、様々理由はあろう。そのためにこのように国家レベルで方針を進めてきたのは分かる。しかし、しかしながらだ。


 お前の国が、若い男女が性にエネルギーを迸らせない軟弱な人種を育てていることに対し、人類への冒涜は感じないのか。


 ええ、X-10は危険思想の持ち主です。ハァハァ言ってます。大体ねぇ、社会、モラル、いろいろ絡み合って人間つーのは生きてると思いますが、まず何よりエナジーありき、食欲睡眠欲性欲ありきだと思うのですが、私間違ってるでしょうか。

 それらが事件を引き起こすことも重々承知です。でも、だからこそ歯止めをかけようとするべきであって、歯止めをかける前に若者自ら節制していることに対し、「気楽に性行為に走る親の世代の風潮を拒否し、視聴率を稼ぎ、製品を押し売りするため日常的にセックスを利用する主流メディアと明白に対立する新たなカウンターカルチャー」などと傍観してる場合じゃないと思います。


 若者はやれ。やりまくれ。国家と激突しろ。反発を食らえ。国家は弾圧しろ。んで若者は更にやりまくれ。親の世代のカウンターカルチャー?ふざけるな。ならば親の世代を超える位やりまくれ。エナジーを減少方向に向けるな。エナジーは常に増加の一途をたどれ。マッチョにいけ。マッチョに。マッチョの権化アメリカンガイは何処へいったんだ。


 大体若者が自分から禁欲しててどうする。自分で禁じられるほどの欲望しかなかったら何にも出来ないぜ。良識的な大人連中や新興宗教なんかも立つ瀬が無くなるじゃんよ。


 そんな平穏な世界、やだよおいら。

 今日は千葉の事務所で打ち合わせ。


 尊敬する上司と一緒に将来の展望について3時間ほど話し込む。


 特に、真剣に感じたことは

 「才能とは多作であること」


 数が質を生み出す。


 数をこなせない、時間をかけることの出来ない、という事は、それだけで後ろに下がるのだ。