今日は一人街に出て、ふらふらと散歩。
行き先も決めず、降りる駅も決めず、気がついたら日本橋。
そのままブリジストン美術館を堪能して帰宅。
そんななか、ふと思ったことなんですけどね。
街って、道があって、ビルがあって、看板があって、電線があって、て、有るわけですよ。
そうすると、それらの建造物を作る人たちが居て、それを立地計画した人たちが居て、実際に手を動かした人たちが居るわけですよ。ええ、当たり前なのですが。
当たり前に居る場所は全部、誰かの手が加えられて、創られたもので、そこにはいろんな想いや、怨念や、希望や、なんやかやをちょこっとずつでも感じながら創られているわけですよね。
そういった、ごく当たり前のことにふと気がついたら、なんか街って愛くるしい環境だなぁ、と。何と無く思いました。
今窓から見えている情景も、多数の人が手を加え、色を決め、高さを決め、様々な工法を編み出して創られてきたものだし、僕の今足元にある床もそうだし、このパソコンを打ってる下の机もそう。
いろんな人の英知の中で生きてるし、見えてるし、聞こえているのだなぁ、と、感じておりました連休5日目です。
ええ、ようやくにして仕事モードを脱却して、本当にクリアな生活モードに体と感覚が戻ってこれたんじゃないかと感じてます。戻るのに5日も懸かるのか。うわぁお。今後定年するまでこの感覚に戻れそうも無いな。
人の体に方向があるように、街にも「向き」があるらしいですよ。
「身体と環境」という授業で聞きかじりました。
>ヨコイさん
街の向きかぁ…。わかる様な、感覚的なような…。
でも、有るんだろうな。
僕もちゃんと大学で勉強していれば良かった。