学校屋

 今まで(といっても10年足らずの若輩だけど)いろんな仕事に就いて、それぞれ全力で仕事をしてきたけれど、結局僕が一番やりたい事であり、一番性に合っているなぁ、と思うのは「学校屋」です。
 そう、いい意味でも、悪い意味でも、「学校屋」
 教育業界とか、講師ビジネスとか、そんな言葉は使いたくない。
 箱ビジネスとしての部分、金銭受領後長期にわたってサービスが提供されるという部分、、商品は無形財だという部分、他の業界への影響力、全てをひっくるめて、僕はこの仕事がとても面白く、興味深く感じています。作る仕事売る仕事お金取る仕事計算する仕事いろいろやったけど、どれも向いてなかったから消去法的にここに来たともいうが。
 コレを考えるときにどうしても避けて通れないのが、親父の存在です。
 知ってる人は知ってますが、うちの親父こそ僕に学校屋の何たるかを背中で教えてくれた、某学習塾塾長であります。
 タバコ臭く生徒と麻雀ばかり打ってる、社会的にはろくでもない塾長?ですが、皆から慕われつつ、それで居て20年以上会社(学校)を潰さずに継続し、その金を用いて金食い虫の息子達を大学卒業まで行かせてくれた、ある意味僕にとっては最高に尊敬するべき社長であり校長であり父親です。言わば江田島平八です。男塾塾長です。
 倒産の危機も何度か乗り越えてきたようですが、そこは父親として、息子の僕らにはそんな姿一切見せずに安泰な仕事をしているように見えてきました。
「人を雇うとは」「教える仕事とは」「クレームの対応」「地道な事務作業」「掃除」「学校としての側面/会社としての側面」「家族を巻き込まない会社経営」などなど、微にいり際にわたり、産まれて30年(ウソ。32年)僕は父からいろんな事を学んできました。
 今、新しい拠点に来て、ほぼマッサラな状態からスタートするときに、今までの経験に加えてこの「父の背中」がどうしても僕の指標になってます。
 新しい兄貴分を見つけ、ともに戦う仲間もいて、指標もあり、自分の夢もある。
 こんなに幸せな事があるだろうか。
 既に仕事を超えて、自分のライフスタイルそのものになっています。
 どんな場所でもかまわない。
 僕は学校屋として、自分の手を掛ける学校には、
 最高の環境と最高の教育知育を提供しつつ、最高の収益をあげる。
 そしてそれは人として正しく、粋と洒脱を以ってなされなければならない。
 そして僕の家族一族(これから産まれてくる子供達も含めて)仲間達は安泰、ただ生きるための経済的余裕だけでなく、生きる意味を全うする時間的、精神的余裕を持つ。
 そして、何が最高か、何が正しいのかと言う判断基準とジャッジは、あくまでも自分が握る。<ここがゴーインで不遜だといわれる所以です。
 それが判断できる人間となるべく、自分を磨き続けなければならない。<ちょっとは謙虚でしょ?
 青臭いとは思いますが、こんな無茶な行為に挑んでます。
 僕の中ではどんな活動よりも、今はこれが楽しいのです。
 まだまだ、やるべき事はたくさんあります。
 でも多分、僕が父親に「やっぱり学校屋が一番楽しい」と伝えたら、絶対苦笑いすると思います。
ねえ?>父親
 (リアル父親(55歳)もマイミクにいます。どんな家族じゃ。)

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