おとなになるということ

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 ここのところ、あまり外で遊んでない。誰か遊んでくれ。
 とはいえ、友人のバンドがライブを行うにあたって撮影に出かけたり、一緒に面白いイベントやろうぜ、という声に引っ張られて企画を練ったり、iPad使って新商品展開しようぜ、という声をかけられて思わず僕がipad買っちゃいそうになったり、自分でもBassを久々に引っ張り出して弾いてみたりと、何かと活動すること自体は数多く行っている。
 年を重ねて、落ち着いてくるかと思っていたけれど、現実には二十歳の頃から何も変わらない。
 この状態は、自分の倅ができるまでは変わらないんじゃないかと思ってきた。できても変わらないかもしれないけど。
 でも、それでいいんだと最近は開き直り始めた。
 年をとるとそれなりに規範となって動いたり、若い人たちの礎にならなければいけなくなったりと、そういう面もあるのかもしれない。だけど、実際には心底楽しんで仕事も遊びも身奇麗に謳歌することが結局は規範だと思うし、下手に年齢を理由に自分をがんじがらめにすることが一番やさぐれていく因子だと感じている。
 僕の周りで、綺麗に遊んでいる大人たちのなんと模範的なことか。
 そして、自分の父親を振り返って、いかに綺麗に遊ぶことを教えてくれてきたか、この年になってちょっとだけ理解するようになってきた。
 親孝行の意味も少しだけわかった。
 僕が楽しく生きること、本当に、それだけで、まずはいいのだ。
 楽しくないと、ゆとりがない。ゆとりが無いと、親に見せられる顔が無い。金があってもそんなもんどうしようもない。
 いいかげん、でいいのだ。
 いいかげんは、良い加減と書きます。
 大人は、いいかげんです。責任背負ったがんじがらめのやる気満々君は、大学生くらいの青少年に任せておきましょう。

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