中国語学習

勉強中。いい感じ。
なんで今になって、この年で語学なんてやらにゃならんのだ。
うん、誰もやれとはいってない。強制どころか推挙もされてない。
ただ単に、僕がご縁を感じてやっているだけなのです。
そう、昨年の6月に、中国語の部署に配属されてからと言うもの、僕の日常に中国語の学習時間が入り込んできたのです。
「たすくさん元々中国の人でしょ」
「母国語でしょ」
「最初からしゃべれそう」
何を言うとるか。君ら僕が大学時代にフランス語学んでたとき、一斉に「似合わない」言うてた癖に。そんなに僕は中国語顔してるのか。
そう、大学では第二外国語はフランス語、専攻は英文学。ラテン語族の言語以外、学んだ事は全くありません。
そして大学時代も真面目に勉強したとはお世辞にも言えないクチ。語学なんて最も逃げたくて仕方なかったスキルです(敢えて学問とは言わない。あくまで僕のやってる方向性、習得レベルはスキルに類されるものです。)
そんな僕は、むしろ生まれて初めての勢いで語学に取り組んでいます。
でも、本当に語学は難しい。
どこからかじればいいのかが皆目見当付かないのです。読めばいいのか、聞けばいいのか、しゃべればいいのか、書けばいいのか。
もちろん、僕が今居る場所は中国語学習に適した環境なので、そこで相談すればいいのですが、とはいえ語学はその人その人で身体能力も違えば、もっている耳もコミュニケーションパフォーマンスも違うわけです。もっと言えば、その人の持つ日本語能力に外国語スキルは大きく左右されるため、日本語が不自由な僕はとても勉強しにくいという状況なのです。
それにしても、この「語学への取り組み方」、語学の勘の良い人はすぐ解るみたいなんですよね。大学時代にもあっという間に上達してる人が数名居ました。でも、彼らの勉強方法を思い出しても、共通点が無いんですよ。沢山書いてる人も居たし、ひたすらしゃべってる人も居た。更にはまったく勉強してる風が無いのに、気がつけばフランス語が話せてる人も居た。強いて言えば、彼らは「耳」が良かった気がします。イントネーションや息遣いまで含めて、先生の発声した言葉をそのままリピートできる能力が高かったと思います。
そして、僕にはその能力が無い。正直、耳はとても悪いのです。顔も悪いけど。頭も悪いけど。それはこの際どうでもいい。
僕の知る限り、耳が良い人以外で、語学を習得していった人が廻りになかなか居ない。この場合、どうやってそのハードルを乗り越えるべきか。そこが問題です。もちろん、加齢の事もあるしね。諦めるつもりは無いから、どうやって乗り越えるか、そればかり考えながらガツガツと日々学んでいます。
とりあえず近くに居る人からどんどん話しかけますが「我愛你」しかいえません。後はここで書くのがはばかられるような単語ばかり。中学生が辞書でヤマしい単語に赤線を引くように、ヤマしい単語ばかりはすらすら覚えます。これが中二病スキルというやつでしょうか。
そして、上達度合いがわからない。語学って奴は、ある一線を超えるまで、母国語話者と全くコミュニケーション取れないんですよね。そしてその「ある一線」を超えるのに、一年~一年半掛かるという状態。この状態で学習意欲を持ち続けるのって、大変だと思います。勉強を持続できる人はエラいなぁ、と改めて思っています。
多分、一つ外国語を習得した人は、この速度感が武器になっているのでしょう。どこまで学習したら自分がスキルとして役に立つのか。そのステップが見えているのでしょうね。これが見えないと、継続的な努力は難しい。
僕には「中国語が出来ないと仕事がなくなる」「どうしても中国女性とお近づきになりたい」「中国ビジネスで大もうけしてやる」と言ったモチベーションの根源が無く、どちらかというと「近づいてきた環境はどっぷり飲み込んでやる」というほかの人にはよく解り難いモチベーションで勉強しています。でも、僕にとってはこれは一番根源的なやる気でもあったりします。
すごく、すごーく、不遜な事を言えば、僕は努力したり泥臭い姿を出したりするのが、すごく苦手で、全てにおいて「そんな気は無かったけどー、気がつくと出来ててー。えー、そんなことないよー、たまたまだよー」と、試験答案を受け取った女子高生のような発言を導き出したいといつも考えているのです。今回も「えー、たまたまー、そういう仕事してたらー、気がついたらしゃべれるようになっててー。」みたいな発言をしてみたいのです。
気がつくとパソコンスクールなんてものを代表していた。
気がつくとテクニカルエバンジェリストなんて肩書きになっていた。
気がつくと舞台監督になっていた。
これ全部過去のものではありますが(もう全部十年前のことなんだな)、これまでの人生、結構そうやって生きてきました。そう、僕が目指してどうこうというものではなく、皆様からの援助、ご縁にて、お役に立とうと思っていると自然とやっている事、できている事が僕は好きなのです。
それがあかんのだもっと自助努力をして目標を立てて泥臭く頑張って生きなさいというご意見があるのは百も承知。もちろん、努力してないとは言いません。でも、どうしても何か(特に利益になるもの)目標に向かって「頑張ってる」というのには照れがあるのです。
というか、僕はその意味では全く「頑張って」ない。
後述するけど、所謂「フロー状態」に入って勝手に「好きな事をひたすらやってると何かできてた」みたいなカタチでしか何もなし得ていないのです。いや、人様にさらけ出せるほどなし得たものはマダマダ無いのですが。
そしてこれが僕の弱点であり、人の良さだと自覚しているのですが、「何か利益になる事に対して目標設定して努力し、結果を出して利益を受け取る」ということがどうにも苦手なのです。僕は「自分がやりたい事をただやりたいようにやりたいだけやりたい。で、やりたくない事をやりたくない」の一心で生きているのです(これは先日コーチングを受けていて、改めて気がついた根底理念なのです。ただの我がままとも言うが)。利益度外視。お金持ちになるために好きじゃないけどこれをやっておく、と言った類の事がとっても気持ち悪いのです。好きな事やろうよ。短い人生なんだから。良い結果のために今を我慢する事がどうにも許せないのです。気持ちいい一瞬の積み重ね、刹那的喜びの積み重ねで大きな喜びを得たい。我慢は嫌だ。言えば言うほどただのわがままです。
やってることが自分にとってフロー状態に入れるか否か。で、やりたい事をやっていたらココに来た、というのがこれまでの僕で、これからもそうしていきたいのです。うん、書いてみて思ったけど、後悔する余地はないんだな。無理をしたり意に反する事をやってない訳で、楽しく生きさせてもらってきたと思います。
でも、その意味では、僕は今、中国語ブームが自身の中で起きてます。フロー状態、とまではいきませんが、語学に対してとても前向きに、「頑張って」勉強しなくても「好きな事をただ遊ぶようにやってる」状態で絡み合う事ができています。怖いのはこれがスルッと飽きる事。飽きたら、一巻の終わり。ダラダラしたお付き合いが出来ないのです。男女に関してはダラダラといつまでも(中略)。
そんなこんなで、マイブーム中国語学習。楽しいですよ。
そのうち怒ったら中国語でまくし立ててやる。

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