Time after Time after Effects

「社会構造が悪い」「会社が悪い」「政治家が悪い」「この世の中が悪い」
なんて言っていても仕方ないじゃないか。そもそも悪くなかった、時代なんてないんだよ。

なぜそういいきれるか?常に構造は変化し続けていて、僕らも変化し続けていて、その距離感やバランスが、いつもぶれ続けているから、なのだ。

もちろん社会を良くしようと政治家や志ある経営者が頑張ってくれている。それは方向性の話。その方向にポジションのキーフレームを打ったと言うだけの話。

それだけで、社会はよくなるのかといえば、キーフレーム二つくらいで美しい社会は出来ない。譚直な動きしか出来ない構造は、もろいし、エモーショナルでない。

それに、大きなコンポジションで見たときには数千年の歴史があり、その中に人の一生があり、また一年がある。それぞれが入れ子構造の中で、複数の動きを共鳴的に動き続ける人類というパーティクルの集合が、どうやって全てが全て正しい位置、この場合で言うと悪くない、良いにセットされるのだろうか。

でも、美しいバランスを生み出すこともあるよね。動き続けていく限り。

1900年、イタリアのマリネッティは「未来派宣言」として速度、動き、プロセスがプロダクト(この当時は国家)よりも重要な価値を持つ、という運動で一世を風靡した。

特徴的ではないが、今も様々な人間という複数のプロパティを持ったオブジェクトが、時間軸に縛られて目標のキーフレームを打っている。

時には、その人の力を増し、別のエフェクトプロパティを与えることで大きく輝くことも出来る。
そういったオブジェクトの集まりで、この社会というコンポジションが出来ている。そのコンポジションは素敵か、美しいか、魅力的か。そして繰り返しではなく、動き続けているか。

そう、オブジェクトが集まって何かを生み出す中、それらが動き続けるものであるならば、それは既に善悪の判断を一フレームごとに判断するしかなく、それは疾走・失踪する。あとに残るのは、美しく他意をもたない自然なモーションなのです。

何を言っているかと。
今日は僕が講師を勤めるモーショングラフィッカー、の最終授業でした。また皆様の授業終了が嬉しくて、様々本を読んでいたところでした。
そして来年は1月10日より授業開始!来年もずっと続けますよ!

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