サバイブするということ

独立してからというもの、可愛がって頂いているクライアントにあたる先輩方が様々なところに居てくださって。
その方々から「サバイブしていることが素晴らしい」「生き抜こうとする人が好きなんだ」というお言葉を頂くことがあって。
僕自身はサラリーマン時代から何も変わってないつもりなんだけど、実際には違う、みたいだ。わからないけど。

はて、サバイブとはなんだろう。生き抜く力とはなんだろう。
思い当たるのは、インプットとアウトプットの両方を研ぎ澄ますことだ。
アウトプットする量、情報を伝達する量を増やせば、必然的に(無理やりでも)インプットする量を増やし、質を高めていかないといけない。僕の場合はありがたくも講演や学校やラジオやWebなど様々な場所でアウトプットさせてもらっている。もちろん、自分が作り上げる商品・作品、もアウトプットの原点だ。本当に、ものすごい量に参加させてもらっている。これは何より、有難いこと。
インプットの量にも敏感になった。全然足りてないという自覚もある。本を読む量もまだまだ足りない。映画もむりやり時間を作って見に行っているが、もっともっと、浴びるように見たい。

アウトプット、インプットとは、畢竟、商業そのものなのだ。
知を右から左に受け渡すこと、そこに自分の知見を増していくこと。
右から左と言うと嫌がる人もいるかもしれないが、シルクロードの時代から知の贈与こそが商業だ。
映像を作ったりだとか、何かを生み出している様で、それは知の移行を行っていたに過ぎない。
クリエイティブとは何か、を考えているようで、実は、商業とは何か、を再発見する日々を送っているのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください