中毒

僕は視聴者を「中毒」にするような映像は作らない。

そもそも「人を中毒にする」ものをばら撒いて皆が求めてくるようなビジネスにしようとは思わない。それは品格の否定だ。

ちゃんと判断して、必要な人が必要なだけ求めてくれて、ありがとうといってもらって、その方の人生がプラスになるものだけ作りたい。手に入れられないとマイナスになって渇望して、場合によっては手に入れるために治安を崩すような状態の人を作りたく無い。

でもそんな清廉潔白なものを作りながら、継続的に組織を維持できる、何十年も収入を作り続けるのは難しいともわかっている。これまで様々な経営者が、賢い方々が、大志を抱きながら、良い社会を作る大望を抱きながらも、生き延びるために中毒性のある商品を作ったり、ブラック企業になったり脱税しなきゃいけなくなったりする状況も、情緒的に理解する部分はある(肯定はしないけれども)。

結果、僕の自分ごととして判断できることは…組織を作らない。個人で、食えなくなるまでやる。求められなくなったら、それまで。

…そう言いながら自分が生きるために何かやっちまう可能性もないわけじゃ無いが、小さな立場でなるべく世界に影響を出さないように、ひっそりと生きていきたい。

従業員の飯種を常に生み出し続けることはとても偉大なことだが、そのために消費者を中毒化させることは下品だ、と思う。

それでゴーイングコンサーンとかふざけたこと抜かす経営者は大嫌いだ。この言葉も大嫌いだ。

役を果たしたら終われ。永続性を元にした会計も変われ。税金も変われ。資本主義よ変われ。もう21世紀だぞ。

たかだか400年の歴史しかないビジネスなどいつかは終わる。歌と踊りと恋と酒、そして祝祭が残る世の中だ。

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