株式会社 彌榮を設立しました。

相変わらず長い文章です。しかもひねくれてます。いつもの僕です。何も変わりません。

●第一章

会社設立しました。実話です。

8年フリーランスとして、映像作家をやってきました。ドラマもCMも企業VPもわんさかわんさか作ってきました。今後もずっとフリーランスのままやっていこうと思ってましたが、まあ、その、いろいろと大人の事情の中で、背負わなければいけないものなんてーのも出てきてしまうわけでして、不肖山本、会社なんてものを立ち上げさせていただきます。

個人事業「彌榮制作」は

2023年6月2日をもって「株式会社彌榮」となります。

(個人事業契約の案件はそのまま継続します)

皆さまありがとうありがとう。本当に、こんな僕がなんとか生きてこられたのも、それがちょっと大きな責任でお仕事を始められるのも、皆様のおかげです。と言っても昨今100円で会社作れるんだけどな。

そんな僕が始める映像プロダクション彌榮。

やることはこれまでと何にも変わりません。

引きこもってPC前にして編集してモーション作ってたまに撮影現場出てを繰り返す毎日です。

そこに資金繰りと税制対策が乗っかってくるだけ…やっぱりやめようかな…。

とは言ってられない。そんな僕は、まずこの会社の社訓を作りました。こちらです。

〜彌榮十訓〜
・人を雇わない
・永続を求めない
・変革を求めない
・拡大を求めない
・他社と競争しない
・大きなビジョンを語らない
・自らの知見を後世に残そうとしない
・社会貢献せずに稼ごうとしない
・誰も幸せにならない作業をしない
・感謝を忘れない

「まーたはじまった。」
「そんなに斜に構えないで」
「奇をてらいすぎ」
「そんな社訓は大人としてどうかと思うよ」

…常識的な皆様のお声が聞こえてきます。


●第二章

会社組織には嫌な思い出しかない。

起業を目指していた訳でもない。

社会を良くして稼ごうなんてビジョンと情熱と強欲さを持ち合わせていない。

そんな僕が会社組織を構築できるわけがない。

嫌味とか文句とか言われるだろう。ああ言われるだろう。それでも言うさ。本音だからな。

「なりたくなかったけど流されてたら会社を設立する事になった」んだ。

やりたくないならやるな!という「純粋な人」の声も聞こえるけど、僕は人生そんなもんじゃないと思ってる。

自分がやりたいかやりたくないか、自分の意思なんて全く関係なくて。

やらなきゃいけなくなる時もある。

求められることもある。

逆もまた然り。

この社会から求められない悲しさ、切り捨てられる悲しさは嫌になる程経験している。

求められるなら、その事実をありがたく受け止め、自分の意思とは関係なく、楽しみながら行動するのが、僕の生き方なのです。

「本当はやりたくなかったのに」みたいな言い訳はしないよ。格好悪いから。

僕は自分の意思で自分の人生を切り拓こうなんて思っていない。

みんながお膳立てしてくれた場所で「僕を上手に使ってくれる方々がうまく僕を活用して」くれたらいいな、と思ってるだけだ。

その根底には、

お祭りに参加する、皆様から愛される、承認される等々…僕は自分の人生の目標を達成して、すでに(心理的に)満足してしまっているんだ。

後の人生、何かを求めるのは「欲張り」だと考えている。

強いて欲を出すなら「両親とかみさんよりは長生きしよう」くらいのものだ。

もう既に切り拓くもの、挑戦心なんてないんだ。

後は、先代たちの作ってきた音楽や写真や絵画や小説を楽しんで暮らし、時に僕が作ったものが後世に残っちゃったりしたら面白いかな、と思うだけで…そこに気負ったり人生を賭けたりはしない。


●第三章

生きていくためだったり飯を食うために設立するんじゃない。

好きなことを好き放題やって、それでみんなに喜んでもらうために設立するんだ。

僕のわがままなんだ。

ただ、わがまま放題で迷惑かけてたら人に嫌われちゃう。僕は嫌われたくない。

できれば喜んでもらってありがとうと言われたい。

その方が僕も嬉しい。

だから、永続性や他者の雇用なんて考えていられない。僕が飽きたらすぐ辞めるから。

社会を変えようなんて思わない。そりゃ良くなるに越したことはないけれど、僕のやりたいこと、の結果として良くなればいいな、くらいの二次的なもの。そんな幼稚な考えの社長について来る社員なんているわけがない。居たらむしろ困る。社会的に困る。

金持ち?僕が憧れたカッコいい大人達の中には、誰一人「太った富裕層」は居なかった。それ故に、荒稼ぎしたいと言う欲もない。

ただ、強いて言えば「金は敬意と覚悟の代償だ」の信念は一貫している。僕と言う存在に対して「山本さんに作ってもらいたいからお金をかき集めてきました!」と言う方のために全力を尽くしたい。「僕のために精一杯頑張ります!」と言う方にはできる限り金払い良くしていきたい。

ただ、安く手に入れよう、僕から金をせしめようという雰囲気が少しでも醸し出されたら、距離を取る。吝嗇は嫌いだ。


●第四章

同時に…僕が、社会に求める事。

「僕を変えてくれるな」

僕は今のままの僕が好きなんだ。自己変革する時は勝手に変わる。変革を強制しないでくれ。

僕の行動、僕の発言に「枷」を嵌められることが、何よりも苦手なんだ。

言いたいことを言う
言いたくないことを言わない
やりたいことをやる
やりたくないことをやらない

たとえそれが「立派な大人」の姿に反していても。

社会の公器?そりゃ一体なんのことだ?

確かに僕は社会の一員だしその責任は果たしているが、会社員時代に僕を社会から除け者にしたのはそっち側だろう。いまさら僕が作る会社に「社会の公器」を求めるのは筋違いってものじゃないか?

僕は僕のやり方で公共を、社会を考えていくよ。この世が嫌いなわけじゃないからね。

弟子も社員も要らない。自分の知見なんて後に残したくもない。役に立つものは他にいくらでもあるだろう。そりゃ、必要あって聞きに来てくれればいくらでも無償で伝えるが、それで商売をするつもりはない。同時に、僕の知見で自らの懐を暖めようとする輩とは距離を置く。臭いからだ。

自分の経験を後世に残したがる、自叙伝や「私の履歴書」を書こうとする老人になりたくないのだ。

「この世に生まれたからには何かを残したい」?。

その気持ちは理解するが、僕は自分が醜くなりそうだから持たないようにする。何かを残すより、格好良く生きる方が大事だ。

子供がいるわけじゃないし、無理して土下座しておマンマ稼いで長生きする必要も無い。

役に立つなら、使ってくれると嬉しいな。

一緒に泣いたり喜んだりしながら何か作ろうよ。

役立たずになったら食えなくなるだけ。

食えなくなったらさようなら。

別にやけっぱちになってる訳でもないんだ。

単に僕はもう自分の人生に満足したから、後は余生として今の僕を肯定してくれる人と共に、自分にできることで人の役に立っていこうと思っているのです。

同時に、自己変革しないと役に立てないのなら、潔く野垂れ死のうと云うくらいにエゴイスティックに生きているだけなのです。

言いたいことを言う
言いたくないことを言わない
やりたいことをやる
やりたくないことをやらない


●結論

その上で、結論は…

「敬意溢れる方々が ますます栄えますように。彌く榮えますように。」

僕の大好きな方々のお力になって、身近な方々が幸せになれば僕も嬉しい。

それだけなんです。

ここまでご視聴いただきありがとうございました。

補足:

Links to Hibi-no-log
(この書き方で、このサイトを紹介するのは15年ぶり、くらいだろうか)

僕は、全然アリじゃないよ。かといってキリギリスぶいてた訳でもない。
アリだと思って働いていたけれど、全くその素質がなくて落ちぶれた人間だ。
案外吹っ切ってキリギリスやってみたら、その方が人のお役に立てたみたいだ、ってだけでね。キリギリスのまま、たくさんの人にご愛顧いただいてお駄賃をもらえている、ってだけなんだ。

僕は早めにリストラされたことでこう転んだ、というだけだ。
人生、こればっかりじゃないよ。
みんなそれぞれ楽しく生きていけると信じているよ。

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