Moma

 そうそう、今年の正月にねぇ、かみさんとMoMa見てきたんですよ。結構感銘受けて来たような事言ってたくせにネタにしてなかったな。



もま



 面白いから行ってみて…と言う前に、もう閉会しちゃってたね。僕は最初に一人で見に行って、面白かったので翌日にかみさんを引っ張り出して行ってきました。うん、何回でも見る価値あるわ。



こういう現代美術とか抽象画とか結構好きでね。よく解らんくせに。でも愛するミロ様とかデキリコ様とかデュシャン様とか、昔から大好きな作家の作品が一堂に会してて、楽しかったっす。



 なんつーか、写実派とか漫画の絵とかアニメ絵とか実はあんまり好きではなくて、こういう絵に昔から魅かれちゃうんだよね。「何が描写してあるか」が主目的ではなく、「何が描いてあるかはさておきこの僕の情念を浴びよ!」っつうオーラを発する絵がね。技巧が情念、エネルギー発信の手段となってる作家の絵が好きなわけ。そうするとどうしても抽象画っぽい絵の方が好きになっちゃうんだよね。一枚の絵に思ったことをとにかく叩きこむ(もちろん裏打ちされた技術あってのものだけど)、ってのは、音楽でいうフリーセッションに近いものを感じてさ、見ててぞくぞくするんだよね。あ、もちろんフリーセッションとかジャズとかも大好きだし。要は他の人のエネルギーとか情念とかを押し付けられるのが好きなんだろうね。自分もエネルギーを鼓舞されるから。マッチョイズムと言うか「僕をみてくれー」っつうヴァイタルアピールと言うか。



 いわゆる僕のすんごい濃いのをぶっかけてやるぜぐえへへへ系の絵画が好きなんだな。こっちもその気になるから。



 その意味で言えば、僕の一番好きな作家は後期のピカソとかダリとかゴッホとかのどマッチョ全開の作家たちになりそうなんだけど、ここが僕のひねくれ者たる所以で…(まあ彼らも好きだけど)。どマッチョイズムが見え隠れしながら、でも外面はクールを装う捻くれマッチョ作家(例:デキリコ、ブラック、ウォーホール)とか、ただ好き放題書いてるだけなのに、何時の間にか1000万パワーを越えてしまってる先天的マッチョ作家(例:ミロ、岡本太郎、デュビュッフェ)とかが好きなんだよねぇ。ただのマッチョではモノ足りんのよ。まあ、彼らの絵を家に飾るのは…ねえ、こっちの体が持たなそうだけど。



 如何に現実を確実に描写するか、ってのは確かに絵の基本であり、デッサンの根本をなすものだとは思うんだけど、風景にコピーした絵を見ても「はぁ、巧いねぇ」くらいしか感想がいえないんだよね。今ではカメラっつう道具もあるわけだし(いや、絵画でしか表現できない描写があるのもわかるけど)別に絵描きになるつもりじゃないし、巧い人のを見て勉強するつもりも無いしね。巧さに感動する事もあるけど…でも、テクニック的な面で見たら、現実描写を超えることが無い気がするし、その意味では絵で「巧さに感動」する事って少ないなぁ。音楽では結構あるけど。



 で、このMoMa展、何を描いているのか解らん様な絵が沢山置いてあるわけですが、それでも楽しいんだよね。絵そのものから「これでもか」っつう情念というかエネルギーが噴出しまくってて。前に立って見てるだけで疲れて来るよ。ま、それが楽しくて見に行くんだけど。かみさんも全部絵を見たらグロッキーになってた。



 しっかし、ダリの「記憶の固執」(時計がびろーんってなってる奴)まで来てるとは思わなかった。こんなところで見ることが出来るとは。クレーとかミロが主目的だったんだけど、これは予想外の収穫。あと、コスタビがあれば最高だったんだけど…事件になってからは、美術界を抹殺されたのかな?個人的にはコスタビ好きなんだけどなぁ。復帰して欲しいなぁ。



 一人一人の作品についてはちょっと書きとめたい事もあるので、これからまた日記のネタが無いときちょぼちょぼと書いていきますわ。



モンドリアンとかポロックとか初めて知ってファンになりました。勉強不足?こういう刺激が日常にあるから、東京を離れたく無くなっちゃうんだよなぁ。


Eclectic

あ、東京での仕事決まりました。4月から東京で活動します。よろしゅう。



なんだか、思ったことをつらつらと



長いこと生きてると理屈じゃないものを理解し始めるよね。 何でだかわかんないけど、若いときにやっかんでたものを割と素直に受け入れるよう になるよね。人と人の繋がりしかり。自分や他人の弱さしかり。やっぱ、少しでも楽
に生きられる様に出来てるんだろうかね。精神構造って。





小沢健二が新曲出してたね。えらく久しぶりに。

昔結構好きだったんだけど、今回はどうかな?





 僕はオザケンをそれほど聞いてないし、雑誌の立ち読みとか、レンタルでちょびっ と聴いた曲とか、写真とかでしか知り得ないんだけど、基本的にオザケンの顔は好き
なのでそれだけで共感した気持ちになって言えば



 小沢健二って、天才のスタイル「飄々」を身につけてる人だと思うのね。すごくかっこいいと思う。

 彼は自分の思い通りになる範囲を知り得てるし、その範囲で十分遊べる人だし、守 るとか守られるとか、他人が介在しないと出来ない事にほとんど頼る必要のない人だ
と思うなぁ。自分で自分の満足を作り出せる人であって、すごく粋だと感じるよね。うん、天才だと思う。才能及び、その余裕のある生き方で。羽生とか武豊に通じる感じがする。

 例えば彼女なんかが居たらいたで「君の為に曲を作るよ」とか言って、確かにその彼女の為に真剣に曲を作って歌ったり、守ったりするとは思うし、心のよりどころにはなると思うんだけど、その心の反対側には「居なくなっても、すぐ心のバランスを取りなおせる」「他の女性に愛情意識転換にはそれほど時間がかからない」って言う自信が見え隠れするよね。要するに自分で自分の心のバランスを支えられる、言いかえれば余裕のある人。その辺が粋な部分でさ。オザケンに限って言えば他人の必要性、ってのはそれほど、つうか全く感じないなぁ。「あ、居るの?うん、好きにしてていいよ。」って感じで生きてると思う。そうなんだけど、必要とはしないんだけど、音楽を使って他人に語りかける。その気軽さ。煩わしく無さが、心地いいって言うか。



音楽にしろ文章にしろ、その人の正直な部分は大なり小なり見え隠れしてると思う よ。音楽が一番正直か、っていうとまたちょっと解らないけど。顔写真とかだけでも
結構その人の正体が解る気もするしね。でも、音楽から見えるその人の人間性って、 確かに間違い少ない気がする。不思議と。



  何となくオザケンの曲を聴いて、そう思いました。



 あ、でも新アルバム「Eclectic」はまだ聴いてません。ごめん。



※今日のReelinは友人とのメールのやり取りから抜粋してナマクラしました。ごめん。