バーベキュー

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 今日は久々に日曜日に休日をもらい、渋谷校在籍時代にお世話になったVFXクラスのみんなと二子玉川へバーベキューに行ってまいりました。
 TAさんからスタッフから、総勢14名のメンバーが多摩川の川辺に集い、バーベキュー。楽しかったです。
 で、初めて気がつきました。
 僕、うまれてからバーベキューした事なかった。
 いやね、多分小さい頃はやったことはあると思うんだけど、大学時代とか、あまりアウトドアな遊びした事なかったし、社会人になってからは全く遊びをすることがなくなってしまったため、こういう感じでバーベキューを堪能する事はまず無かったんですね。大学のサークルの合宿とか、泊まりでのバーベキューはあったような記憶が微かにあるけどね。
 
 なんか寂しい青春時代だったのだな。まあいいや。
 でも、こういう風に卒業生・在校生のみんなと一緒に過ごせるのはこの仕事の醍醐味だよね。本当に、お疲れ様でした。そしてありがとう!
 最後に、今日一番キた一言。
 「どこに行こうと、山本さんが居る限り、DHは大丈夫だと、思ってます」
うわぁ、こんな微力な僕にそんな言葉を……重いし、責任感じます。が、こう言ってもらえるのは、嬉しかったです。僕の代紋でどこまで引っ張っていけるか解りませんが、これからも力いっぱい頑張っていきます!
(因みに写真左は、お好み焼きをひっくり返すのに全身全霊を込める元VFXクラス担任の867。手がおどおどしてます。)

学校屋

 今まで(といっても10年足らずの若輩だけど)いろんな仕事に就いて、それぞれ全力で仕事をしてきたけれど、結局僕が一番やりたい事であり、一番性に合っているなぁ、と思うのは「学校屋」です。
 そう、いい意味でも、悪い意味でも、「学校屋」
 教育業界とか、講師ビジネスとか、そんな言葉は使いたくない。
 箱ビジネスとしての部分、金銭受領後長期にわたってサービスが提供されるという部分、、商品は無形財だという部分、他の業界への影響力、全てをひっくるめて、僕はこの仕事がとても面白く、興味深く感じています。作る仕事売る仕事お金取る仕事計算する仕事いろいろやったけど、どれも向いてなかったから消去法的にここに来たともいうが。
 コレを考えるときにどうしても避けて通れないのが、親父の存在です。
 知ってる人は知ってますが、うちの親父こそ僕に学校屋の何たるかを背中で教えてくれた、某学習塾塾長であります。
 タバコ臭く生徒と麻雀ばかり打ってる、社会的にはろくでもない塾長?ですが、皆から慕われつつ、それで居て20年以上会社(学校)を潰さずに継続し、その金を用いて金食い虫の息子達を大学卒業まで行かせてくれた、ある意味僕にとっては最高に尊敬するべき社長であり校長であり父親です。言わば江田島平八です。男塾塾長です。
 倒産の危機も何度か乗り越えてきたようですが、そこは父親として、息子の僕らにはそんな姿一切見せずに安泰な仕事をしているように見えてきました。
「人を雇うとは」「教える仕事とは」「クレームの対応」「地道な事務作業」「掃除」「学校としての側面/会社としての側面」「家族を巻き込まない会社経営」などなど、微にいり際にわたり、産まれて30年(ウソ。32年)僕は父からいろんな事を学んできました。
 今、新しい拠点に来て、ほぼマッサラな状態からスタートするときに、今までの経験に加えてこの「父の背中」がどうしても僕の指標になってます。
 新しい兄貴分を見つけ、ともに戦う仲間もいて、指標もあり、自分の夢もある。
 こんなに幸せな事があるだろうか。
 既に仕事を超えて、自分のライフスタイルそのものになっています。
 どんな場所でもかまわない。
 僕は学校屋として、自分の手を掛ける学校には、
 最高の環境と最高の教育知育を提供しつつ、最高の収益をあげる。
 そしてそれは人として正しく、粋と洒脱を以ってなされなければならない。
 そして僕の家族一族(これから産まれてくる子供達も含めて)仲間達は安泰、ただ生きるための経済的余裕だけでなく、生きる意味を全うする時間的、精神的余裕を持つ。
 そして、何が最高か、何が正しいのかと言う判断基準とジャッジは、あくまでも自分が握る。<ここがゴーインで不遜だといわれる所以です。
 それが判断できる人間となるべく、自分を磨き続けなければならない。<ちょっとは謙虚でしょ?
 青臭いとは思いますが、こんな無茶な行為に挑んでます。
 僕の中ではどんな活動よりも、今はこれが楽しいのです。
 まだまだ、やるべき事はたくさんあります。
 でも多分、僕が父親に「やっぱり学校屋が一番楽しい」と伝えたら、絶対苦笑いすると思います。
ねえ?>父親
 (リアル父親(55歳)もマイミクにいます。どんな家族じゃ。)

顧客満足とは

 ありふれた事だが、仕事は常に「顧客満足」に重点が置かれる。
 しかし、仕事の中で見落としがちなのは、部下や同僚も「顧客」であるという事だ。
 満足の行く仕事をするには、部下が自分たちの処遇や上司に満足していなければならない。その手助けがあるか否かも、仕事がうまく行き、売上げが達成するために大きな影響を及ぼす。
            (ブライアン・トレーシー)
 大変だけど…はい、頑張ります。

マーケティング関係

 新拠点に沿った手法を見出そうと、最近いろいろとデータ分析、ログ解析、マーケティング手法研究など、いろいろやって気がついたら朝の6時を迎えているなんてことが珍しくなくなってきました。
 なんて書くとすごくえらそうな高尚な仕事をしているようですが、実際には読書してネット見て夜を明かしているだけなのです。はよ寝た方が体に良いとわかっていても、なかなかできないんですよね。これ。
 今日も気がついたら朝6時。妙案はなかなか浮かびません。ダメじゃないか。これから寝ます。おやすみなさい。

今日から池袋

いや、あのね、日記を8月1日付で書き込むために、「場所取り」って入力しておいただけなのに、皆さん反応しすぎ。
 さてさて、前からきちんとお話をしておかなければいけなかったのですが、改めてこちらでもご挨拶です。
 本日より私 山本輔は、渋谷より池袋に拠点を移して活動する事と相成りました。皆様、よろしゅうお願いします。
 渋谷でお世話になった皆様、ほんとうにありがとう。
 これからこれからも是非是非よろしくお願いいたします。
 だれか送別会やってくれ。
 >淡々と7月31日業務終了時に「おつかれさまでしたー」と何も無く終わった可哀想な子。

仕事への思い。

仕事が楽しくて仕方ない。
生徒が愛らしくて仕方ない。
事実この気持ちが今もあるし、コレがある限り幸せだと思う。
 きちんと仕事をこなしていれば、いずれまわりが認めてくれるし、収入や肩書も後からついてくる。地位とか給与とかで仕事を考えるのではなく、自分が楽しめるかどうか、納得できるかどうかで判断する。
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 移動する、と言うより、自分のテリトリーが一つ増える、と言う意識なのです。
 みんなから離れはしませんよ。
 金沢のPCスクール「RustyRed」を経営してた時代は、武蔵が辻本校/四十万拠点/七尾拠点/金沢南拠点/泉拠点の五拠点をぶん回してました。(つーか人雇えよ、と言う話ですが)
 あの時は本当に死ぬかと思った。売上げ上がらず給料ナシとか…新婚ホヤホヤでいきなり心中とか真剣に思った。本気で死にそうだった。でも誰も文句言う相手も愚痴言う相手も居なかった。全てが自己責任だった。
 自分の給与も肩書きも自分で決めた。年中無休24時間体制で仕事だった。精神安定剤いっぱい飲んだ。雇い入れる人も自分で選んだ。従業員からのクレームも自分で受けた。喧嘩して辞めてった人も居た。売り上げが足りず一軒一軒ポストにチラシ入れて回ったこともあった。募集も運営もクレーム処理も講師も電話受付も全てが自分だった。あー怖かった。
 当時27歳。若かったなぁ。体力だけで何とかしてました。
 ハードな毎日でしたが、自分が背負わなければいけないモノを背中に感じて、パワフルに仕事をしてました。(くるまやラーメン食べながら)
 今、そのときに近い気持ちになってます。
 わくわくしてきた。
 金沢時代の「地獄にも勝るハードさ」に比べたら、今なんて屁もいいところです。一緒に戦ってくれる仲間も居るし、学ぶべき兄貴分も居る。借金の恐怖も無ければ夫婦別居の恐れも無い。収入も安定。家庭も安定。会社も安定。これを天国といわずして何と言う!
 今居るところも、これからのところも、全て何とかしていこうじゃありませんか!(心中はかんべんですが)

合宿

 今日は職場の研修合宿でした。
 合宿そのものは研修ですから、真面目にお勉強なのですが、それよりなにより、北海道から九州まで、仲間が初めて集結した事に興奮。
 いやー、みんな、サイコーです。
 伝説の責任者や噂の広報スタッフなど、電話やメールでは何度もやり取りをし、テレビ会議で毎週をあってはいたのですが、やっぱり生で会ってみると全然違います。やっぱり人と人のつながりは大事だなぁ、と実感。すごい人たちが揃ってます。とても楽しい二夜を過ごさせていただきました。
 みなさんこれからもよろしく!
 帰りは元気溢れるウチの娘っこ達を夢の国へ連れて行きましたが、玄関先までご案内して、訳あってそのまま帰宅。
 
 とにかく楽しい二日間でした。まる。


世の中には応援してくれる人しか存在して居ない。

前世代から次世代へ 私は鎖

悩むべき事は、全てチャンスである。

大事な事はまず愛であり、その次に仁義と義理である。

困る事などむしろ存在しない。

何が存在して、何が存在しないか、
 私の見る世界の中で、存在の決定権は、私が握る。

全ての人に感謝。
 どう切り取っても、いい環境だよ。今の空気は。

それでも極論、自身の不安感を共有できる人は居ない。畢竟、孤独が人生の基本。それを自覚して、それでも笑って前に進む。

最後の決定は、自分が体感したもので決めるのがベスト。頭での判断は、信用してはならない。