(要QuickTime)
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僕は煙草を飲まない。二十代の初め頃、一時期キャスターマイルドを飲んでいたが、肌に合わなかったのか、きづいたら止めていた。ここ2年ほど全く飲んでいない。苦しくもない。いわゆる禁煙者だ。だが、僕は煙草に対して非常に寛容だ。もっと言うなら、煙草が好きだ。
僕は煙だらけの部屋にいても苦しくない。目の前で煙草を飲まれても全く気にならない。むしろその煙の揺らめきを心地よく思う。両親はヘビースモーカーだった。そんな両親の煙草教育により、僕の体が完全にニコチンに支配されたのだろう。僕の鼻は煙の存在を感知できない。煙草が煙たいという人の気持ちがわからない。恐らく、最もこの世で嫌煙論者の敵となる人間だろう。煙草を吸わないタバコ愛好家。嫌煙論者の内なる敵。
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煙草の似合う女が好きだ。胎児の影響とか世間体とかはさておき、純粋にその行為だけを抽出した場合、これ以上魅惑的な行為はなかなか見当たらない。煙草を咥える、煙を吐く、灰を落とす…それは、生きていくためには不必要な行為ばかり。不必要を無駄と思わせず、自分の美しさの中に取り入れる。不必要な行為を、魅惑的な行為に昇華させる…生きる事に汲々していては、そんな余裕は生れない。うん、そうだ…美しさの原点は、「生きることに対する余裕」だ。煙草を飲むという行為、それを会話の中に自然に織り交ぜる事の出来る女性。そんな女性こそ、僕にとって最高に魅惑的な女性だ。
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僕の周りの女性はよく「子宮を掴まれる」という言い方をする。理論では説明できない感情、愛おしさ、狂おしさ、セクシー…といった感情を一言で表現したものらしい。「なにが」「どう」と言った説明は出来ないのだが、とにかく剥き出しの性的本能をつかまれた感触。男ではわからない感触。男でもちんこを掴まれればそれなりに狂おしくも胸キュンもロマンティックと言うか劣情も止まらなくなるのだが、その感触とはやはり違うらしい。子宮のない僕にはわからない。
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で、麻生久美子。
この挑発的な眼差し。けだるさ、陶酔、アンニュイ、ケセラセラ…何も言い返せない自分。若く美しい女性には、どんな男でも絶対に太刀打ち出来ない、と言う事実を再確認する。煙草という小道具。人生を彩る為に欠かせないアイテム。小道具から、見事に自分を演出する女性。そんな女性に立会うと、劣情も敗北とも孤独とも愛おしさともつかない感情にさいなまれる。「子宮を掴まれる」という感情が男にも感じることができるならば、それはこんな感情を指すのだろう。狂おしい。狂おしいほどに、美しい。
要するに、だ。
麻生久美子、(略)。