尊敬と憧れ

 気がつけば僕の齢も重ねられ、とうの昔に若者というラベルが剥がれて、若さゆえの過ち、若さゆえに許されることも無い時代に入ってしまいました。
 本当に、26,7あたりから一気に一年のスピードが加速したと思っています。丁度結婚したころ、そして仕事の波に飲み込まれたころです。そこからの10年、何が起きたのかわからないままに流されて今ここに居ます。
 僕の中では未だに新人アイドルはモーニング娘。でありTMレボリューションがネクタイまわしてホワイトブレスを歌ってます。いや、ホントにその辺りから世の中とずれてきてるんだってば。時代で言うと97~98年前後ね。
 未だに僕の気持ちは大学を出たて。新卒社員の気分です。
 そんな中で仕事をしていると、ふと気がついたことがあります。
 僕が尊敬する対象って、ほとんど同い年~年下になってきているんですね。
 僕は今、尊敬できる年下の先輩方から、業務や生き方を教わっているなぁ、と感じています。
 これ自体、別に恥ずべき事じゃない。世の中のシステムが変わり、情報の進み方が今のようになれば、きっと20代後半~30代前半が最も仕事上でもライフワークでも活きがいい頃だと思いますので、「こういう先輩になりたいなあ」と思える人が30代前半の年下でもなんら不思議は無い訳です。そして、その場所で輝いている人たちが多い環境に居ることを、幸せに思っています。
 もちろん尊敬できる人、憧れる人、年上の人たちにもたくさん居ます。池袋校時代のK兄貴分とか某MAのグリンさんをはじめとして…。でも、今やNerick兄さん、Katy兄さん、Ryuzo兄さん、Yuricha姐さん、MY&USSY、lim-0をはじめとして、僕が心から敬意を払う人たちの占める割合が、同世代~年下に、どんどん多くなってきているのです。
 決して年上が寂れてきた、というわけではないです。あくまで割合として、年下とお付き合いする事が多くなってきた、と言うことですかね。そして、僕の周りに居る人は、ほとんどみんな魅力的。となると、尊敬できる人の年下比重が高くなるのも、必然かもしれません。
 年齢って、関係ないね。無駄な時間はひとつとして無いけれど、年を重ねること自体が価値を持つものじゃない。重ねてきた時間を燃料にして、如何に輝かせるか。それによって、今輝いている人、これから輝く人、ずっと輝き続ける人が居るだけのことだと思います。
 もちろん、僕の見かけや体力や求められる能力はオサーンですし、そうはいっても(現実の)年長者として、みんなの規範となる社会的、人間的責務は果たしていきますよ。決して甘えるわけじゃないのです。
 もちろん、年はどれだけ足掻いても戻るものじゃない。僕はこのまま年を重ねていくことしか出来ないので、その中での戦い方を考えていくしかない。僕自身まだ老け込む年ではないから、このまま倒れこむまで突っ走る予定です。僕の重ねてきた時間はしっかりと、わき腹あたりに燃料として地層のように積みあがっています。よく燃えますよ。

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