ブログを書く理由

五階から。
そもそも僕はあまりしゃべるのが得意じゃない癖に強固過ぎるほど強固で鬱陶しい自我が年甲斐も無く存在している。これはもう自分でも「自我を捨てて、成長しなきゃいけないな」なんて大人びた観想を持つレベルではなく、「死ぬまでこの状態と仲良く付き合わないといけないな」と諦念を感じているレベルであり、それゆえに僕はこのブログを続けているのである。ひたすら書いて出して、「人目にちょっとだけつくチラシの裏」であるこの場に自我すなわちエゴを出し続けていないと死んでしまうのである。糞詰まり的なヤツだ。
あまり記する事でも無いので伝えては来なかったが、社会人になってからこれまでにも数回「ブログを辞めろ」とか「こんな事ブログに書くな」とか、それなりに地位のある方、権威のある方からご指摘を頂いた事があります。あります、というか多々あります。
それでも、僕は書き続ける。と言うと美談になりそうですが、そういうわけじゃない。筆が止まらないんですよ。もう病気の状態。誰かに止めろと言われても、はいそうですかと辞められないのです。もし上司から「明日からお前ウンコしちゃ駄目」と言われても言う事聞けないじゃないですか。そういうことです。
で、延々と13年間書き続けているのですが、この事について2点。
一つは、もうとても一般的に認知されている事とは思いますが、改めて。
ブログなんて小さい記事(それこそチラシの裏)ではありますが、個人が表現して誰かに伝える環境を整えられていると言う事の重大な意味をしみじみと考えるのです。
ブログに限らず、TwitterでもFacebookでもいいのですが、誰かの目に留まりやすい環境に個人が意見を発する、その事の重要性と効果、その逆の危機感はもっと感じてもいいんじゃ無いかと思うのですよ。
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「進むべきか、止めるべきか?」 続・ソーシャルメディアの普及に伴い情報管理問題が表面化
組織はどんなに個人の口を塞ごうとも、それはもう無理な話。ぎりぎり「不利益を与える発言は禁じる」という曖昧な規程で留め、あとは組織という集団の暗黙のルールで「変なことやるなよ。その『変なこと』てのは雰囲気で決めるからな」という場の空気を読ませる組織作りくらいしか手は打てない。
とはいえ、個人の立場はなかなかにして弱く、結果としてtwitterやblogでの発言は「空気を読んだ」モノに偏るのも事実。個人の意見を尊重した政治的発言、宗教的発言、社会運動的発言はなかなかしにくく、結果として「ご飯の写真ブログ」「猫の写真ブログ」「綺麗な写真ブログ」が並ぶ状態になるのですよ。
その状態に、僕はとっても違和感を覚えるのです。
あなた、会社員の前に個人だろ!紐づいた思想があんだろ!こっそり友達に相談してる事とかあんだろ!ブログに出せよ!俺に見せろよ!とスクールウォーズ張りに体罰一歩手前まで追い詰めたくなるのです。ただの嫌な人です。
もちろん僕もそこまで社会的な発言をしているとは思ってませんが、(例えば労務的な問題とか、賃金体制の問題とか、税法上の問題とか)書きたい事があれば、いつでも書ける準備はしてあります。もちろん、後は覚悟の問題ですが。
個人の心情、立脚点に立った意見、発言。そしてそれを議論するコメントの場。(公表された場所で)
それがブログの大事な機能なのでは無いでしょうか。
これを追求すると、あきらかに企業は情報漏えいに対するガードに頭を悩ませなければなりませんし、またアジテーションの得意な方がブログを書くと部署が一斉にそちらの意見に刷り込まれ、組織上の上位下達の仕組みとは別に暗黙の集合意思が生まれ始め、全社としてのピラミッド型のコントロールも相当難しくなっていくものだと思います。いや、これから先、もっと難しくなるものと信じてます。現場は、経営の隅々まで知っていまう。それに意見も表現できてしまう。そこで議論する事も可能。これを会社の健全な成長とみるか、既得システムの崩壊と見るか。
でも、それも味方につけてマネジメントしなければいけない世の中なんですよね。良くも悪くも。少なくとも、ロジカルにものを考えて文章化する事ができ、更にウィットに溢れて感動させる文章を20~30分で書いて公開できるようなスキルを持つ人がマネジメント側に居ないと、このあたりは対応が難しくなると思います。
そしてそれは「受け入れる」「いや禁止する」という議論じゃなく、こういう世界に生きてるんだなぁ。ということ事態を受け入れるしかない、のだと思います。40代以上はまだアナログだから新聞とニュース文化で大丈夫なんだ、ではなく、それらの情報ももちろん手に入れた上でこういったメディアを使いこなす、という意味でね。ここも年齢格差がなくなってきました。色々と楽しみです。

新宿アイランドタワー。レディースクリニックを訪問。僕は付き添いですが。男子禁制の婦人科のため、僕は一階でカフェタイム。
そして二点目。こちらはちょっと話が変わりますが、今度は個人として書き難さを克服する話。ちょっと壁が高いぞ。
僕は知人友人大学の仲間高校の友達会社の同僚お客様上司元上司前社の社長取締役副社長から祖父母・父母までが閲覧する場所としてこのブログを設置しています。そしてアナリティクス(分析)を見てみたら、明らかに全く無接点の方々が沢山いらっしゃってます。例えば父母と、大学の友人、そして社長が目の前で4人聞いている。彼らに対してキチンと話せて、ウィットを聞かせて、愛されて、それでもコアの自分の意見は曲げないで、という文章を書くの・・・大変なの。
そう、2点目の結論は「大変なの」に集約されるんだけど、「万人、誰が見ても過不足無くバランスよく書く」というのはとても難しいのですよ。でも見られているのだからしょうがない。しかも毎日書いて無いと便秘になる。ブログを書くのは大変な肉体労働です。
もともと、書くこと自体が好きで、それを表現すること自身に抵抗が無かったのは良かったと思ってます。でも、誰かに見られている場所で、自分の本当に言いたい事を延々とアジテートする、というのは結構覚悟が居るものです。そりゃたまには「鍋美味い」とか「綺麗な夜景」とかオサレブログみたいな事もするけどさ。でもこのブログに期待されているものはそんなものじゃないと思ってます。僕の延々と自我を垂れ流した血の文章を期待されているんだと勝手に思っているので勝手に血を吐きながら書き続ける事にします。
あ。本来ならここでコメントの炎上とかに対する意見も持たなければいけないのかも知れませんが、僕ソッチはあまり気にして無いんですね。これまでの経験上、1ヶ月もすれば消えていくものだし。
結論。これからも好き放題言うからな!
そんなX-10 RoyalScamも、今日で13年と1ヶ月目。これからもよろしくお願いします。

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