僕が一般社会人と認識されているのは奇跡に過ぎない。

これを見て「迷惑だ」「おかしい」「社会秩序を守れ」と言うのは簡単。僕はその点に意見は無い。
僕が思うのは、自分も、隣にいる人も、自分の家族も「明日、突然こういう行動を取ったとしても、不思議はない。」と認識する事の重要性だ。
人は簡単にタガが外れる。いわゆる「狂う」という状態と「健全」とは本当に紙一重。何かのきっかけで、行動や思考が「常識」を外れる事は多々ある。その行動が自傷に向かうか、他者に向かうか、社会秩序に向かうか、寝込むのか、それはわからないけれど。
社会秩序を乱しても良い、他者を攻撃しても良い、とは決して言わない。でも、そういう行動を取るところまで追い詰められた人、タガが外れた人、その原因、行動の結果、そういったものを「あれはおかしくなったから」「ちょっと僕らとは違うから」「弱いやつだった」と一線を引いて我が身をマジョリティに置くのではなく、「自分の隣人」「明日の自分の姿」として向き合い、真摯に応対できる強さと優しさは、常に持ち続けていたい。
たとえ自分が、攻撃を受ける側、迷惑をこうむる側になったとしても。
(もちろん僕も怒るけどね。でも、極力「自分には理解できないモノとして、シャットアウトして思考停止」はしないようにしていきたい。)
そう、全員ここで、死ぬんだよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください