女の子の撮影

女の子の写真撮影である。

この世でカメラを手にしたものが撮らなければいけないものは3つ。
そう、「女性」と「子供」と「料理」である。
僕はここに「祭り」を加えたいのだが世間ではあまり受け入れられないので敢えて引き下がろう。この一瞬でしか存在しないこの美しさを収めるという意味ではお祭りも女性や子供、料理に匹敵する(以下略)。話が逸れた。
そしてその3つともにおいて僕は無頓着である。これではいかん。死活問題である。

と言うわけで、仲良くさせて頂いている有り難き女の子の皆様を撮影させていただきました。恐れ多いことに先方からノリノリでご指名依頼頂き、もう二つ返事で了承ですよ。ひらにひらに。
(本心はKaty、ゆり茶、さーや、bill、助けて!ですが。それは言ってはならない)

師匠に言われたことを真面目に受け取り「ときめかなければシャッターを切るな」「嫁を連れていくな」というアドバイスを忠実に施行。「うん、わかったー」と、素直に聞いて撮影開始。

ときめいて撮影すること。その原点ともなる、その場を楽しく広げていきつつ、その瞬間をきれいに切り取っていくことは、半年前より余裕を持ってできるようになってきたみたいだ。ときめいているかで言うと…うむ、ときめく余裕も出てきているよ。もっとときめこう。いつもシャッターの段になると無言になっちゃうんだよな。

自分の本道とは違う仕事だからこそ、得るものも大きいのです。でも、仕事はプロの側が「何かを得ていてはいけない」というのも重々承知。今回に関して、僕が提供できる価値は「僕が撮った」ということ。そう、名を消した「ニーズにお応えする職人芸の道」ではなく、「山本輔印」僕自身であることに喜びを感じてくれる方がいる間は、それをもっと押し出そうじゃないか。何ができるかじゃなくて「僕ができる」ということの価値をもっと作らないといけないんだ。さあ、精進精進。

そして未だに思う。なぜ僕はカメラを扱っているのだろうか。気がつくと手元にあって、得物の一つになってしまったもの。

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