僕らが格好良い大人に憧れたように
自分も格好良い大人になれたらいいな、と思っていた。
気がついて見れば、なんのことはない。ただの中年。それも無職の子供部屋おじさんだ。
夢だってあまり無い。祭りが曳けたので僕はもう充分だ。
同時に、他者に対し「格好良く思われよう」と思うこと自体が見栄え良くない。
自分に対しては格好良くありたいけどね。
最近、若い方、それも10代の方々20代の方々から相談を受ける機会が多い。自分が親世代になってきたからか、親子同伴で同席させていただくことも多い。
どうにも「夢を叶えている大人」「楽しく格好良く生きている大人」の枠内で語られることが少し増えてきている、と思う。上記の通り、僕は僕でヒーコラ借金返して社会から爪弾きにされて泣く泣くこの生き場所死に場所についただけなのにね。
だからこそ若い方々には「これは一事例であり参考にも何もならない生き方だ」とは伝えている。
「生まれてごめんなさい生きててごめんなさい」は本当に心からのセリフだ。両親にはありがとう、だけどね。
そんな僕に、何を聞くことがあると言うのか。
そこまで、社会は混迷しているのだろうな、と思う。
未来を見据えようにも暗雲漂い、マイルストーンとなる先輩もいない。親世代さえもおろおろする。
そこでは「社会から爪弾きにされた」けれども逞しく生きてる僕の処世術はなんらかヒントがあるのかもしれない。
役に立てるものなら大いに役に立てていただきたい。
喋れないことは何もない。僕に何が起きたかも全部喋る。
その上で「大人になるのってやだな」と思われたら、うん、ごめん。僕の責任です。
同時に「夢を叶えた人」と見られることも多くなってきたが、
正直全くそんなことはない。
楽しく生きていられる、好きなことを言う、言いたくないことを言わない、やりたいことをやる、やりたくないことをやらない、祭りに参加している、これらの点だけで言えば、夢は叶ってるけどね。
何かを成し遂げようとはしない。目標達成志向、成し遂げる起業家気質的に出てくる臭みが嫌いなのだ。僕の信念、ポリシーを日々曲げずに、1日1日、死ぬまで頑なに言いたいことだけ言って生きるのみ、それだけでいいのです。
ときに、映像作家として名をなそうとは思わないのか、と聞かれたことがあった。
その時は、かみさんが間髪入れずにこう言った。
「あなたは別に映像作家として有名でもないし無名駆け出しもいいところです。でもそれで良いのです。貴方は『街のビデオ屋さん』。トップになろうとせず、目の前のお客さんを大事にすることだけ心がけてください。著名人の妻になりたいわけではないのです。」と。
僕も賛成だ。後は、みんなが僕を好きなところに連れて行ってくれると信じている。そのみんなの期待に便乗しながら、好きに生きていきます。
ちょっと酔っ払ってるかな。まあ、こんな日もあるよね。