事務所開き

(宮司様の許可有、と言いますか率先して導いて頂きました…としても畏れ多い…拝殿で御写真撮ることの緊張が顔に出てます)

事務所開きです。

本来事務所開きとは選挙事務所位しか使わない言葉ですが、僕は敢えてこの言葉を使います。

本日、伏木神社にて、会社設立のご報告、社運隆昌祈願を致しました。

そうです僕の愛する「伏木曳山祭り/けんかやま」の里に戻り、ご報告してきたのです。「彌榮」の名もそこから取っているのですから。僕の崇敬神社です。

改めて拝殿に通されて、太陽に照らされた本殿を前にした時…何というのでしょうこの感銘。

「僕が子供の頃境内で石を投げあって遊んでいたこの場所で」「先先代の宮司様に怒られてはまたこっそりかくれんぼしてたこの場所で」、まさか正装をして拝殿に通される日が来るとは思っていませんでした。神様に「会社作りました」のご報告。けじめと礼儀、大事です。

(いやそりゃ資格があるわけじゃ無く、こちらからお願いしたら御引受頂けることなのかもしれないけど…そうじゃないんです。子供の頃遊んでた場所が「禊の場所」に変わったことで、自らの立ち居振舞いを見直す契機になるのです)

御神楽から始まり御神楽で終わる、この流れ。

まさかまさか、彌榮に向けて御神楽を流して頂ける日が来るなんて。自分もわずかながらに湊町囃子方の一員として、御神楽の意味、重みは少しだけ理解しているつもりです。

更には宮司様に彌榮の名前、彌榮制作の創立を含めた祝詞を唱えられた時は、身が引き締まりました。

下世話な言葉ですが祝詞唱えられてる間「やばいやばい神様に映像プロダクション彌榮って祝詞で言われちゃったよ報告しちゃったよもうあと引けないよ設立したって言っちゃったよどうする怖いよあと引けないよ」と、腹を括る思いで一杯でした。

玉串を差し出す手も、相当緊張していたことと思います。

宮司様とはご縁あり、10年近く前から仲良くさせていただいておりました。とはいえちゃんとご挨拶、きちんと長くお話しさせていただいたのはこれが初めてかも(不躾者ですみません)…祈願の後は控え室で、熱いお祭り話に盛り上がりました。

しかし、「ただのお祭り好き」と「祭事を司る神職」の差はあまりに大きく…言葉の節々に見え隠れする覚悟や想いにただひたすら感服するばかりでした。

けんかやまに対する姿勢、御立場、歴史、皆の思い、これからの在り方…こんな「一町末席の曳子」がこんなお話しさせてもらっていいのでしょうか…

おっと忘れてた曳山祭のために来たんじゃない自社の隆昌祈願、即ち彌榮の彌榮祈願に来たのだった。改めてややこしくも畏れ多い名前付けてしまったな。

というくらい隆昌祈願忘れてお祭りのお話に花が咲きました。それはむしろ、運気向上の証と思っています。…だって、自分たちの利益の話でなく、周囲のみんなが仲良く幸せに為るためにどうするか、を真剣に考えている方とお話をしたのですから。それで運気が逃げるわけがないのです。僕理論。

商売繁盛、とは言いたくありません。

商売をしているつもりはないし、繁盛するのは結果論です。人のため世のために為ることを一つ一つ粛々と行うことで、結果「僕を必要としてくれた方を起点に」社会が幸せになってくれたら良いのです。しかし、誰と出会うか、依頼が滞りなく進むかには運気が必ず関わります。そこが綺麗に流れるためには、様々なご愛顧が必要です。神様に限らずね。それ故に「社運隆昌祈願」とするのです。

あ、だからと言って清貧を気取るつもりは一切ないからな。稼ぐからな。役に立って価値を産み出して産み出して未来永劫がっつり財宝蓄えるつもりだからな。富貴蓄財どんとこい。そのための社運隆昌だからな。まあ蓄えた分だけ使っちゃうんだけど。いいの。財宝は天下に回してこそなんぼです。この世の御財宝、僕の財布を経由して頂きます。

というわけで、明日から奉曳開始です。奉曳、すなわち曳山が町を練り曳かれる様に、僕も巡業を始めるのです。まあこれまでと何も変わらないのですけどね。気持ちの問題です。

各クライアントに御神楽も流すでしょう、時にはかっちゃ(喧嘩・余興)もするでしょう。ぼろぼろになることもあるでしょう。それでも、また直して元気な姿で事故なく日々を送れる様にするのです。

会社を畳む時は、また必ずお宮参りをして、ちゃんと山倉に自分の身を納めたいと思います。今日からは僕が曳山です(意味がわからなくなってきました)。

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