断筆した某作家ではないけれど、最近多方面からよくこんな事を言われる。
「小説を書きなさい」「小説を書きなさい」「小説を書きなさい」「小説を書きなさい」「小説を(以下略)
非常にありがたいお言葉だし、僕の作るものを期待して下さっている方々がいるというのは非常に心強いです。しかしまあ、皆さんがどういう気持ちで言って下さっているのか分からないけど、当然、断筆した(最近復活した)某作家の様に実績があるわけではないし、それどころか実際にはこの日記以外文章なんて書いたことないわけで、「なんでこんな奴にそんなこというのだ」という気持ちは(ちょっぴり)あるのだが、まあ素直に受け止めておこう。
ものを書いたことがない。正直(表向き)作家志望だったわけではないので、文章なんてどう書いていいか分からない。でも方法論なんて大したことないので、分からないまま書いてもいいのだ。要はやる気だ。「うんことすっとこどっこいがどーでんこーでんした。」でも立派な文章なのだ。というわけで、書きたくなったら、書くよ。書きたくなるのっていつだよ?
まあまあ、とりあえず、SAKE、ぶたさん、姫、DJ-HOE?をはじめとして、私に物書きを薦めて下さった皆様、ありがとう。ちょこっと、やってみる。その気になった。おまけに暇だし。やはりおだてられると、木に登るものだ。
でも他のホームページ見ると、みんな上手い文章書いてるよね。どうやったらあんな文章かけるんだろうなあ。それより先に、金になることやらないと、明日の飯はどうするのだ?
種の保存
今日はちょっとおとなのおはなし。
ここのところ、同期生とよく飲んでいるのだが(暇だから)、ここ最近同期の連中の(ある一部分の)元気がない。
「あんまり、やりたい、って思わないんだよね。」
「最近、 ちょっとだめなんだよね。」
おいおい、うちら、まだ二十代中盤やろが。そんな脆弱な男性本能でどうする。
しかしそういう僕も、23くらいの時から「めちゃめちゃやりたい」っていう思春期の性欲が一気に減少した時期、あるんだよなあ。なんなんだろ。
でも、これはやっぱりおかしいことだよ。種の保存の法則から言っても、これからが種付け本番の時期でしょう。その前にやる気なくしてどうするのだ。それとも動物的には、20代前半が種付けの時期なのかなあ。歴史から考えると、少しずつ出産の年齢ってあがってきてるし・・・。やっぱ「やりたい」時が種付けの時期になるように本能がきめてるのかな。でも今の日本の社会じゃ、そんな時期に家族作れる甲斐性持って生活するのってなかなか難しいよ。そう考えるとまだまだ、現役で頑張らなきゃいけないでしょう。
男性本能に任せて犯罪を起こすのは、当然あってはいけないことだけど、男性本能が弱くなることも、やっぱり問題なんじゃないでしょうか。
ぼくこどもだからよく分かんないけど。
姉貴分
う~。二日酔い。気持ちわりい。
昨晩はガキの頃かわいがってもらった姉貴分に十二年振りに再会、深夜まで深酒。
姉貴とは言っても、母親と同年代だったりするのだが。
二人でワインフルボトルと大ジョッキ四杯ずつ開けてべろんべろん。気がついたら川越の彼女の家に転がり込んでおりました。起きたら昼の一時。彼女の飼い猫「満月」と一緒に雑魚寝。
いやあ、前に彼女に逢ったのが中学生の頃だから、二人でさしで酒を飲むってのがすごく新鮮で、感動的。おいらが三才の時から知られてるから、隠し事もできないし。彼女、昔はうちの母親と二人でビール1ケース+日本酒一升くらいを一晩で飲み干す酒豪だったのに、酒はちょっと弱くなってたのかな。
僕の部屋のベッドの脇には、女性がたたずんでいる一枚の絵が飾ってある。東京に移り住むときに実家にあった絵をもらってきたものだったのだが、この絵を描いたのが実は彼女だった。おいらの東京での乱れた生活を、この絵を通じてずっと見られてきてたのね。彼女は絵描きで、時には店を経営したり、ハウスマヌカン(この言葉がまだ生きてた時期ね)やったりして、波乱の末に昨年結婚して川越に移り住んできたとのこと。今のおいらの境遇も笑い飛ばせる剛胆な姉貴なので、いろんな話をぶつけることが出来てちょっとすっきりした。この場を借りてお礼。ありがとね。
今日はこれからまた酒を飲む約束がある・・・。う~気持ちわりい・・・。
武甲温泉
結局昨晩は一緒に社会からドロップアウトしたDJ-HOE?君と今朝の六時までプレステ三昧。
「なあ、明日の予定は?」「ん~?何にもないよ。お前は?」「なんもなし。暇だなあ・・・。」「どうする。温泉でも行くか?」「そうするか。」
というわけで、日帰りで行ってまいりました。埼玉県秩父市・武甲温泉。
昼の一時に起きだして、おもむろに西武池袋線。東京もちょっと雪景色だったけど、秩父はさらに雪が積もってました。着いたのが夜の六時頃だったんだけど、それからじっくり二時間近く温泉三昧。夜の雪の中の露天風呂。いいねえ・・・。
サウナと露天風呂の往復。あがってからの生ビール。ああ、ごくらくやねえ。しかも往復賃もあわせて3000円程度。いい遊びしたわ。
秩父は仕事で夜祭を撮影したり、祭り会館の音響演出をちょっと手伝ったりしていたので土地感は結構あったんだけど、二年経つとやっぱ忘れてるよね。秩父神社に来るまで何処にいるかわからんかった。
しかし秩父ってところは、不思議なところだね。全然娯楽がなさそうなんだけど、なんか住みたくなる空気がある。密かに武甲山の麓に住むってのもいいかもね。
ホームページ
自分のホームページを作ったからには、やっぱり見てもらいたい。でも恥ずかしい。でも見て欲しい。いや。だめ。でも。ああ。ちょっとだけ。うん。見て。いや。
・・・ごめん、なんでもない。
友人から来たメールの返信の最後に、それとなくこのホームページのアドレスを書いておいたら、2時間後には何の連絡もなく彼のホームページ上にこのページの講釈とリンクが貼られていた。なんとなくこそばゆい。
いや、別に連絡が欲しいわけじゃなく、自分の知らない間に自分のページへたどり着く道が増殖することになんともいえぬ興奮というか、喜びがあるのだ。
というわけで、リンクを貼り返してやる・・・と思ったが、このページから彼のページへ飛ぶリンクはあちこちに貼りまくってあるので、全く関係のない奴のリンクを貼ってやる。
Digi-human 2000
友人のページに勝手にリンクしてしまった。ばれたら怒るかな。
その友人、何故か今僕の後ろで「ときめも2」をやってたりするのだが。
今日、平日だよな?明日も。二人そろってなんで明日の予定何も無いねん。学生じゃあるまいし、お互いもう大人やろが。
これを見てるよいこのみんな。こんな大人になっちゃダメだぞ。
蝦人
あ、間違えた。暇人(ひまじん)である。えびにんではない。
今日は普通の月曜日。世の中はきちんと正常に廻っている。コンビニも開いている。新聞も来てる。
昨年末までは24時間体制で僕もそういった社会の一員だった。しかも、精神的にも全くゆとりのない状態で気狂いのように仕事をしていたのが、みれにあむの到来と同時に
24時間体制のひまじんになってしまった。社会の一員じゃないとは言わないが、社会的必要度は、多分減った。(この際会社にいたときは社会的必要度があったのかどうかという議論は無視。)全くの大転換。天地逆転。どうしましょ。
加えて六年間つきあっていた彼女とも昨年末に別れたため、ほんとーにほんとーにほんとーに「ひまじん」になってしまったのだ。
「ヒゲとボイン(By奥田民生)」を同時に両手から離してしまった感じ。精神的にも空中浮遊状態。
窓の外を石焼きいもが通り過ぎて行く。
「暇になると人間ろくなことをしない」とはよく言ったものだが、特にワーカホリックなおいらは
とんでもなくろくでもないことをしたくなる。しかも小心者。スケールの大きい悪事なんかは、したくても出来ません。
カップラーメンを三種類まとめて食べて幸せを感じるとかはまだいい方で、
ライターで陰毛に点火させて遊ぶとか、ホテルでミイラをかこって(中略)とか目と臓器を(中略)とかさらには(中略)(中略)(中略)なんてことをしたくなっちゃったりする。
まだ暇になってからの東京生活一日目だぞ。こんなんでいいのか?
だったら仕事見つけて全うに生きろって?はい。その通りです。ごめんなさい。
仕事してないと、えびの様に腰が低く曲がっちゃいます。蝦人、卑屈だなあ。
それじゃ、前の会社に仕事もらいに行ってきます。では。
就職
やばいな。就職口がまじでなくなってきた。
いろいろ就職活動をしてみたものの、芳しい返事は帰ってこない。仕事を選ばなきゃなんでもあるとはいうものの、贅沢な選びかたしてるのかなあ。
どうしても前の会社の経験を生かそうとすると、変な横文字商売ばっかりになってしまうし、それらの求人数が今どん底にいることも理解してるんだけど、理解しただけでは飯が食えない。どこかで飯を食べなきゃいけないんだよ。まだ僕一人分の食い扶持だけど。そう考えると今結婚して子供もいるような大学の同期生とか田舍の友人たちはすごいなあ。立派だと思うよ。本当に。それに比べたら僕はまだまだ大人じゃないんだなあ、としみじみ実感。
「フリーになる」「独立する」なんつったら見かけはかっこいいけど、僕の場合このままでは「就職するところがなくて仕方なくフリーになる」わけで、あまりかっこよくない。かっこにこだわるわけじゃないけど、それ以上に食い扶持の稼ぎどころが安定しないのは、はっきり言ってろくな事じゃない。
今までやってきた経験が社会に認められないということが判明したことは、しょうがなく悲しいことだけど、まあ、どうしようもない。なにかやっていくしかないなあ。何を?困った・・・。
東京
ようやくひっそりとしたアルバイト塾講師生活に一区切りを付け、
今日からまた東京に戻って生活を始めます。
と、書いたところで東京に「戻る」ということ・・・。
僕の実家は富山県。あの北陸地方の雪に埋もれたしがない村落地帯(富山県民ごめんなさい。でも、ほんとのことやと思うがやちゃ(富山弁))
である。高校時代まで富山県で過ごしてきて、92年に大学進学(というか浪人)と同時に
東京で生活を始めて現在に至っている。昔は東京に「行って」富山に「戻る」と言っていたのだが
いつの間にやら東京に「戻って」富山に「行く」という言葉を使い始めてしまった。
特に気を付けて使い始めたわけじゃない。でもいつの間にか感覚がそうなってしまったのだ。
これは単純に言葉上の問題じゃないよ。多分、実家を離れて一人暮しをしたことのある人なら
分かってくれる感覚だと思う。自分の生活基点が今何処にあるかがこの言葉から感じ取れる。
東京に「戻る」かあ・・・。いつまでそういってられるのだろうかなあ・・・。
いや、単純に、そう思っただけなんだけれどね。脈絡もなく、この話、終わり。
塾講師
昨年末に会社を退職してからずっと実家にこもって塾講師のアルバイトをやっている。
最初は女子中学生や女子高生に囲まれて「先生!実はあたし(以下略)」なんて世界も(ちょっぴり)期待して楽しい先生ライフを
考えていたのだが、実際にやってみると、とんでもない。これは大変な仕事だね。
確かに女子中学生、女子高生もいるし、かわいい。しかしなんつーか、すでに「自分はおやじだなあ」ということを
自覚させられる「かわいい」なのだ。すでにれんあいたいしょーとか、そういったものを感じさせる「かわいい」ではなく
単純に若いという事に感じる「かわいい」なのだ。期待していたかわいさよりも、
もっとみずみずしい「かわいい」だ。これから世間にもまれるんやろなー、といった
純粋さに感動してしまう。
何処が大変なのか分からない文章になってきた。これ以上この女子高生話を続けると危なくなるのでちょっと話を変えよう。この時期というのは当然センター直前だったり
高校入試直前だったりするわけで、講義をするこっちとしても即効性のある
教材を探しだし、クラスの生徒の性格、得点を把握した上で弱点を見つけだして、
ピンポイントにつぶしていく、といった作業を毎日繰り返すわけだ。当然
生徒も人間だから、疲れてる日もあるし、教室の中には好きな子や嫌いな子もいるし
精神的に逆なですることも出来ないからうまいことその気にさせたり相談に乗ったり
しなきゃいけない(いや、好きでやってるだけなのだが)。んでもってちょっと落ち込んでる女子高生なんかと「先生、私もうダメなんです!」
「ばかやろー。俺のクラスに、くずなんかいねえええ(By 金八)!!」「ああ、先生(以下略)」 だから違うって。
ちょっと教壇に立ってえらそうな事いって帰ってく、なんて訳にはいかないのだ。まあ、楽な仕事なんて
ないやね。でも、結構楽しい仕事だな。「ダビスタ」の人間版みたいで。一緒にするなって?
前の会社(制作プロダクションね)にいたときも楽しく金にならない仕事をバーサーカーみたいに
やってたけど、やっぱり僕、仕事にとっこんでないと駄目な性格らしい。
ワーカホリックだわ。どんどん一般人としての幸せから遠ざかるなあ・・・。