BYND卒業制作発表会

今日も、BYND卒業制作発表会。
3年前に卒業生一人から始まった学校が、今や1キャンプで卒業生が50名近く。
幸せな作品たちを見て、その後に仲良く酒を飲む。

自分自身に問いかける。
僕は何をやっているのかと。
こんなに幸せな仕事をさせてもらって、どれだけ贅沢な人生を歩んでいるのかと。

そしてその後はラジオ番組「おしえてたすくせんせい」
また、素敵なゲストや素敵な仲間とトークを繰り広げ、その後に酒を飲む。

また、自分自身に問いかける。
僕が3年積み上げてきたものは想像以上に大きくなっていたのだと。
もちろん、僕の力ではない。みんなが支えてくれたものだ。

こんなダメ男が、こんなにもみんなに愛してもらっている。
今日、ある場所で言っていただいた言葉。
「みんな、たすくせんせいのファンなんですよ」

こんなことを言ってもらえる40代に誰がした。
そうなんだ。僕はこのスタンス、このキャラクターを崩しちゃいけないし、崩せないのだ。

本当にみんな、ありがとう。

BYND Blog

今回のAfterEffectsを学ぶクラス「モーショングラフィッカー」水曜クラスは、僕がブログ記事を書いてます。

http://hlywd.co.jp/bynd/2018/02/27/wts_motion01/

(以下引用)
チュートリアルサイトやラーニング動画が数多く存在する今の世の中で、知識を得ることはどれだけでもできます。

その中で、「始めの一歩目を理解する」「何が大事で、何が大事で無いのかを理解する」ことの難しさも、理解しています。 同時に、講師から知識を得ることで身につくノウハウだけでは成し遂げられない世界があることも承知しています。

お互いに刺激を受けること、教えあうこと、喜び合うこと、作品を見せ合うこと、制作工程を共有すること…それこそが、リアルな学校でないとできない一番の価値だと、僕は信じています。

ロバートデニーロの言葉

僕は英文科卒で、教師で、映像製作者で、ちょっとだけ写真屋で、将来を諦めてない作家で、演出家。ああ、もう、本当に全否定された。
 
(以下引用)
考えてもみろ。看護学部の卒業生にはみんな仕事がある。歯学部出身の学生も完全に雇用される。ビジネススクールの卒業生も問題ない。
 
医学部の卒業生は1人残らず仕事にありつく。誇り高きロースクールの卒業生も大丈夫だ。もし大丈夫でなかったとしてもどうだっていい。彼らは弁護士なんだから。
 
英文科は例外だ。彼らは家に籠って小説を書くだろう。教師はクソみたいな仕事で低賃金だが、それでも働くだろう。
 
(中略)
 
会計学科の学生には選択肢があった。ひょっとすると会計学に夢中だったのかもしれないが、私は彼らが、成功と安定が予想される仕事に就くために、理性と論理と常識を用いた可能性が高いと思う。
 
理性、論理、常識。芸術学部で? 嘘だろ?
 
君たちにはその選択肢はなかったんじゃないか。君たちは自分の才能に気づき、野心を抱き、自らの情熱を理解した。そう感じた以上、もう抗うことはできない。従うしかない。
芸術に関して言えば、情熱は常に常識に打ち勝つべきだ。君たちはただ夢を追っているんじゃない。自分の運命をつかもうとしているのだ。
 
君たちはダンサーで、歌手で、振付師で、音楽家で、映画製作者で、作家で、写真家で、監督で、演出家で、役者で、芸術家だ。ああ、もう駄目だ。
 
http://logmi.jp/66748

大人の発達障害

他人事じゃない。
 
特に2009-2013年頃、同じ理由で自信を全く失った時に、妻から「普通の人が普通にできることをやって誰が幸せになれるの?他の人にできなくて貴方にできることを存分にやりなさい。その方が皆幸せです」と言ってくれたからこそ、今のワークスタイル・ライフスタイルに行き着いているのです。
 
救いがあって、僕はなんとか自分の仕事の仕方に「型」を作ってこれたと思うけど、それは同時にたくさんの方のサポートがあってこそ成り立っている、という感謝は忘れません。だからこそ、愛嬌と御機嫌は常に持ち続けなければいけなくて。
 
時々、僕のライフスタイルに敬意や憧憬の念を抱いてくださる方がいるのだけど、僕は他になにも人の役に立つことができなくて、どうしようもなく、生きる道を探った結果「フリーの映像作り屋・モーショングラフィック屋」になっている訳で。確かに楽しくは生きているけど、それは、もがいた結果の、周囲のありがたい支えと僥倖によるもので。僕がいつも「真似してはいけない」「なりたくてなった訳じゃない」というのは、ちゃんと理由があるのです。
 
大人の発達障害
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180118-00000017-sasahi-hlth&p=1

写真撮影がコンプレックス

僕は写真撮影が大のコンプレックスです。
それでも、カメラを扱うことが営みの片隅にある生活。常に自分の解像度の鈍さ、世の美しさに対する雑然さに日々絶望しつつ、鍛錬を続けているのです。

料理(動植物)/世界(風景)/子供/女性…、僕の知る中で、最も美しいもの、そしてニーズのあるもの。世界の美しさの80%はこれで出来上がっているのではないかと考えています。(まあ、あと20%は祭りだと思うのですが、他所で理解してもらえないので割愛します)
その中で僕は、料理に興味ない、風景あまり興味ない。子供あまり興味ない。そうすると、興味のあるパーセンテージの比重はどこにかかるか、まあ言わなくてもわかると思うのです。祭りはさておき。

そんな中ですよ。日々ありがたくも様々な方と鍛錬を積まさせて頂いている中でですよ。今日、一緒に飲んでた方から「今日、今から撮影してくれてもいいですよ」と、声をかけてもらえたのですよ。本当に、ありがたいことに。

その方は2年前にスタジオでポートレートを撮影させて頂いて、唯一、僕の師匠から「たすく、写真上手になったね」と評価して頂けた被写体の方です。要するに、良い信頼関係を築かせていただいて、お互いリラックスして、より良い撮影を楽しめる関係を築かせていただけてた方。もちろん、本人からも喜んで頂いて、今日に至るのです。
その方からの声に対してですよ。ドキッとしたと同時に「あ、え、い、今、ですか。撮影機材は、あの、青山においてきちゃったし、あの、その」と、即答できなかった、すなわち応えられなかったのです。

あああああああああ!この僕の売りは「なんでもその場で引き受ける」「なんでも『喜んで!』」「無茶振りを飲むことがポリシー」じゃなかったのかと。あまつさえ、素敵な女性に「写真撮ってください」と声をかけてもらって、その場で応えられないなんて、名が廃りすぎるのではないかと。あああああ!

なんかビビっちゃったのです。2年前、とても素敵に撮影できたこの方を、今、あの時以上に綺麗に撮れるのか、に、ビビってしまったのです。ああ!もう、この、軟弱者!変なアーティスティック気取りなしに、iPhone一つでも「ああ撮ろう!今撮ろう!」と言えるのが僕の強みだというのに!

いつも撮影させてもらってる、大好きなN嬢など、毎回のごとく「今度はちゃんと撮ってくださいよ!」と叱られつつも「もう一回だけ。もう一回だけやらせて!」と盛りのついた犬のごとくガンガン撮影させてもらってるのに。その貪欲さはどこに行ったのかと。

いや「据え膳は残さず食え」は母親からさえも教育を受けてきたのです。ちょっと意味違いますが。でも、そのレベルで「撮影してください。さあ、今」と女性に言われて、そこに乗らないなんて山本 輔イズムとして、あってはならないことなのです。ならないことなのです。大事なことなんで2度言いました。もう一度言いましょうか。あってはならないことなのです。

結局今日は、いつも一緒にいるM嬢と合流して3人でバーに入り浸り今まで呑んだくれて帰ってきました。それでもこの悔しさはまかないきれないのです。

まあ、そうは言っても後日撮らせてもらうのですが(強がり)。それでも「後日撮る」のと「OKもらった今、撮る」は全く意味が異なるということ、わかってくれる方はいると思うのです。

OKもらったその瞬間、その場で行動を起こさないなんて、写真に限らず色恋でも仕事でも良い結果が生み出されるわけないじゃないですか。その場でパンツ脱がないなんて、契約書出さないなんて、成約できるわけないじゃないですか。
…それ、僕、18年前にブログに同じ経験をしたためてたわ。18年成長してないな。
http://www.zerokai.co.jp/royalscam/?p=2993
そして「写真撮影がコンプレックス」という前段の話は、もう、忘れた。そんなことはどうでもいい。
僕は毎日、一生懸命、精一杯に感情を込めて生きているんだよ。

BGMにはずっと岡村靖幸の「愛はオシャレじゃない」が流れています。